高市首相批判で炎上したGEZANマヒトが性加害を認め謝罪も、“子どもじみた対応”からにじむ圧倒的な甘さと自己保身
ロックバンド「GEZAN」のマヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト)が不同意性交の事実を認め、謝罪しました。バンドは活動休止を発表し、音楽ファンの間に衝撃が走っています。
7月29日にマヒトが自身のSNSで説明した内容は生々しいものでした。被害者が泥酔状態で意思確認もままならない状態で、避妊もせず、さらには怪我まで負わせたというのです。
こうした行為は常態化していたといい、<今回の件に限らず、これまでわたしは相手を対等な人格として尊重せず、自分の欲求や都合を優先し、性的対象として扱うような行為を繰り返してきました。>と、過去にさかのぼって謝罪しました。
まず押さえておくべきは、マヒトを擁護すべき点は一切ないということです。表向きは反戦や人権の尊重を訴えておきながらやっていることは真逆ではないか、という批判の声はもっともです。これまでしきりに訴えてきた政権批判の説得力も無に帰してしまうと言わざるを得ないでしょう。
だからこそ、文面からは必死さが伝わってきます。あまりにも具体的に状況を描写する言葉は二次加害にあたる可能性があるのではないかとの声もあります。しかし、とにかく謝罪し自分の問題と向き合いたいという気持ち自体にウソはなかったはずです。
にもかかわらず、マヒトの言葉を眺めていると、どこか空虚さも覚えます。なぜならば、そこには被害者の尊厳がむごたらしく踏みにじられたことの深刻さよりも、「自分は世間一般で良くないとされることをしてしまいました」と言うための周到なエクスキューズと受け取れる箇所が少なからずあったからです。
まず、謝罪文の冒頭の表現から引っかかりました。
<【お読みになる前に】 この声明には性暴力に関する内容や謝罪、被害についての記述が含まれています。過去の経験などにより心身へ負担やフラッシュバックが生じる可能性がありますので、ご自身の状態に合わせて閲覧をご判断ください。>
どこかで見覚えのある文言だなと思ったら、これはニュースで津波などの映像を流す前に視聴者に配慮してアナウンサーが言うフレーズなのですね。要するに、第三者(アナウンサー)から、別の第三者(視聴者)に向けて言うときの文法なのです。
このような表現を、一番の当事者であり責任を負うべきマヒトが自身の署名のもと発していることに、まず違和感を覚えました。まるで司会進行まで兼任しているような他人事感により、罪悪感が希釈される効果が生じるからです。
つまり、マヒトは配慮に配慮を重ねる素振りをすることによって、事態の中心から自らを遠ざけるような物の言い方をしているのですね。だから、その後に被害者への真摯な謝罪の言葉が繰り返されていても、言葉がつるっと滑っていく。
高市首相に放った挑発の言葉がマヒトの生の声であり、「アーティストとしての自分にはこの言い方しかない」というユニークな表現だとすれば、今回の謝罪文は完全に事務処理におけるテンプレートです。
かつて、高市早苗首相を「マジでシンプルになんでこんなバカが国のトップなの?センス磨いてやるからGEZANの武道館こいよ。」と激しくこき下ろして炎上したことでも大きな話題になりましたが、今回は自らの不祥事によってピンチを迎えているのです。
反戦や人権を訴えてきたマヒトが、性加害を認め謝罪
性加害の当事者なのに「司会進行役」のような冒頭文
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