
2024年には事件のあった竹田高校での講話が実現した
両親がまず起こしたのは、大分県や豊後大野市(病院)そして顧問と副顧問などに損害賠償を求める裁判だった。一審では、県と病院の責任は認められた。だが、顧問と副顧問については、国家賠償法という法律の壁に阻まれた。
公務員である教員は、職務上の行為であれば、賠償の責任を個人としては負わず、自治体が肩代わりすることになっているからだ。つまり、暴行を加えた顧問その人に、責任を負わせることができない。
両親は、それでも顧問個人の責任を問うことを諦めず、控訴に踏み切った。担当した徳田靖之弁護士からは「この裁判は、負けますよ」と正直に告げられた。それでも両親は、「負けてもいいから、とことんやりたい」と引かなかった。
弁護士にとって、負けがわかっている裁判を引き受けるのは、決して簡単なことではない。それでも、両親の覚悟を受け止めた徳田弁護士は、「こちらも、腹をくくりましょう」と言って、勝ち目の薄い闘いに、ともに臨んでくれたという。
そして、この裁判のなかで両親がたどり着いたのが、「求償権」という仕組みだった。国家賠償法には、公務員に「故意または重大な過失」があった場合に限り、賠償金を肩代わりした自治体が、あとからその公務員個人に請求できるという定めがある。
ただし、この請求をするかどうかは、自治体の判断に委ねられている。そこで両親は、求償権を行使しない大分県に対して、「顧問に賠償を求めよ」と迫る住民訴訟を起こした。県を通じて、顧問個人に責任を負わせる方法を選んだのだ。
だが、前例のない挑戦に、周囲の反応は厳しかった。「そんなものは前例がない」「勝てるわけがない」と言われたという。それでも両親は、引かなかった。
結果は、8年に及ぶ闘いの末の勝訴だった。2017年、福岡高裁は元顧問の「重大な過失」を認め、県に100万円の求償を命じた一審判決を支持し、県側の控訴を退けた。弁護団によれば、公立学校の教員に対して賠償金の支払いを求めるよう自治体に命じた高裁判決は、全国で初めてだったという。
「金額の問題やないんよ。あの人(顧問)が、自分の財布から、自分のやったことの責任を払った。その事実が欲しかった」
剣太さんの死から17年、部活動の現場は変わったのか

剣太さんが幼少期、自転車で訪れて弟と遊んだ久住山
では、部活動の現場そのものは、この17年でどう変わったのか。大分県のある県立高校で働いている教員に話を聞いた。
「竹田高校の事件は、当時、大分で大きな話題になった。それ以降、熱中症への対応も、問題のある顧問への対応も、格段に厳しくなったと思う」
実際に、対応が変わったと感じた出来事があるという。ある部活動に、生徒を精神的に追い詰めるような指導をする顧問がいた。それを管理職に伝えたところ、数か月後、その顧問は、その部活動のない学校へ異動になったという。
かつては、昭和的な指導を当たり前とする世代が、現場でまだ力を持っていた。だが今、そうした指導者は少数派になり、周囲が「それはもうアウトですよ」と言える空気に変わりつつある。
その変化のきっかけの一つは、間違いなく、剣太さんの事件だった。