そんなバーリンが二度の大戦の際に従軍を志願したことは、極めて自然な流れでした。しかし軍人になるにはあまりにもひ弱だった彼は、結局軍隊に曲を書くぐらいしかできなかったのです。その曲はタカ派的に鼓舞するようなコピーもなければ、戦争の過酷さ、無残さに訴えかけるようなメランコリーもない代わりに、二つとない個性を持った軍歌となりました。
「Oh How I Hate To Get Up In The Morning」の肝は、<起床ラッパを吹くあいつを、いつかぶっ殺してやりたい>とぶっちゃけるユーモラスなフレーズ。軍隊での生活にほとほと嫌気がさしていたバーリンが編み出したのは、軍人もまた一般市民と変わらず、仕方なく早起きしなければならない生活者なのだというシンパシーを呼び起こすフォークソングでした。
⇒【YouTube】Irving Berlin – ‘Oh, How I Hate to get up in the Morning’ http://youtube.be/71smG5d29to
こうして知らぬ間に体制の側に潜り込みながら、なおも作品中に逃げ道を用意しておく手管は、見事。軍隊にエールを送ると同時に、起床ラッパに殺意を抱かせるような生活など早く終わってしまえと毒づく反戦歌とも取れるのですね。そんなバーリンのスタンスは、さらなる大きな果実を生み出します。
「God Bless America」は、9.11テロ後に再びクローズアップされた曲ですが、ここにも反動的な愛国心や民族主義は登場しません。歌われるのは、広大な山や草原、青い海とそこへ白く泡立つ波の美しさ。そのような国土を有するアメリカを、私は愛するのだ、と。そう思う時の心持ちは、紛れもなく平和であり、それを司る実力の充足を願っているはずです。
⇒【YouTube】Irving Berlin “God Bless America” – The Ed Sullivan Show http://youtube.be/Vmc-pEyUHTs
この包括的で寛容な視座は、抵抗にこだわる卑小な攻撃性から生じ得ません。しかしバーリン個人には、そのような余裕を醸すだけのものは備わっていませんでした。楽譜の読み書きはおろか、和音についての知識も皆無。ピアノを弾くにも、黒鍵を人差し指で一本ずつ押さえるようにしかできない。
自分も権力を行使している、という自覚
祖国を追われた移民なりに乏しい教育しか受けられなかった彼は、確かに犠牲者ではあったかもしれません。にもかかわらず、弱者に落ちることを拒み続けました。けれども、バーリンは、体制側につくといった振る舞いを超えたところで、自らの主権を認識していました。
つまり、彼の生業とするソングライティングそのものが、行政執行的な行為であると認めていたのですね。
なぜなら、決まった人物から依頼されたわけでもない状況で、一定の収益を見込むことは、不特定多数の大衆の不満をできるだけ抑えて、スムーズに社会を動かす作業に、極めて酷似しているからです。
そうして世の中から報酬をいただくソングライターが、政治と無縁でいられるわけがないのです。曲を作り、売る。そうする彼が、すでに権力を行使する者の一人なのです。
さらに言えば、詞と音楽を同時に扱い、単純さを目指す作曲という行為そのものにおいて“冷酷なまでの自己批評を課していた”として、バーリンとワーグナーの類似性を指摘したジェローム・カーンの言葉も忘れてはならないでしょう。言葉とメロディを統合する、その段階から、すでに彼の全権は発動しているのです。
とどのつまり、どこをどう切り取っても、この世に弱者として、抵抗者として振る舞う資格のある音楽家など、存在しないのです。「Oh How I Hate To Get Up In The Morning」や「God Bless America」の両義性は、高所に立ってはじめて包み込めるものなのかもしれません。
ここ数か月で、反戦や非戦、平和、護憲、人を殺す、殺さないといった無数の言葉が飛び交い、政治についてのやり取りが交わされてきましたが、いずれをとっても、これらの事柄はすぐに忘れ去られるだろうとの確信を抱かせるものでした。なぜならば、そこには権力への想像力があまりにも欠けていたからです。
それが、抵抗に酔いしれる者たちの人質になっている限りにおいて、自力で獲得し得る平和など訪れるのだろうかと途方に暮れつつ、ふとするとバーリンの顔がちらつくのでした。
参考文献:バーリンの自伝『As Thousands Cheer The Life Of Irving Berlin』(Laurence Bergreen著)に多くを負っています。
<TEXT/音楽批評・石黒隆之>