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不妊治療で休業するレスラー 旧姓・広田さくらを直撃 「37歳の迷いと決断」

広田さくら1 11月12日、後楽園ホールで行われた「センダイガールズ vs スターダム対抗戦」。第1試合が始まった瞬間、あまりの甘酸っぱさに涙がこみ上げてきた。まるで女子校時代にタイムスリップして、憧れの先輩を見ているかのよう。レスラーが、かっこよくて手の届かない存在だった先輩と重なり、胸がキュンとなる。客席を見ると、同じく頬を紅潮させてリングを見つめる女性たちの姿があった。これが女子プロレスか。 ⇒【写真】はコチラhttp://joshi-spa.jp/?attachment_id=405013 広田さくら2 観戦したきっかけは、「旧姓・広田さくら」選手。型にはまらないコミカルな試合で会場を沸かせる、唯一無二のレスラーだ。先月、年内で産休に入ることを発表した。産休といっても、妊娠や出産をしたわけではない。不妊治療に専念するため、プロレス活動を休止するのだという。同時に、男性不妊であることも公表した。広田選手はカミングアウトした理由について、「プロレスは勇気や元気を与えられるもの。プロレスラーは発信していかなければならないと思う」と話した。  37歳の広田選手にとって、プロレスとはどのようなものか。不妊治療とどう向き合っているのか。話を聞いた。

コミカルなパフォーマンスで一世を風靡

広田さくら3「ほんとは産休したくないんですよ。ずっとプロレスをやっていたいです。今日妊娠して明日生まれないかな、っていうくらい(笑)。そしたらすぐ復帰できますから。でもいま、仕事って、人生って、なんて楽しいんだろうと思っているので、この気持ちを子供に味わわせてあげたいんですよね」  1995年、17歳のとき、長与千種主宰の「ガイア・ジャパン」に入門。翌年、長与とタッグを組み、日本武道館で華々しくデビューした。しかし長与の後継者と期待され正統派路線をいくも、鳴かず飛ばず。苦し紛れにはじめたコミカルなパフォーマンスが、抜群にハマった。 「最初は迷いもありました。どうしようとウズウズしていたとき、長与さんから『お前は人を驚かすことだけを考えろ』とアドバイスされたんです。それで、対戦相手のガウンを拝借して入場してみたら、どっとウケたんですよ。そこから対戦相手の物まねをするようになり、相手と同じコスチュームを作って着るようになり、その流れでコスプレをして面白いことをするいまのスタイルが出来上がりました」  相手のレスラーとまったく同じコスチュームで登場し、試合がはじまると動きを真似る。これがただの物まねではなく、高度な技も難なく真似してみせるのが、プロレスならではであり、広田選手にしかできないことだ。人気が出ると、“天狗の時代”に突入したという。 「お客さんは大盛り上がりで『広田は欠かせない存在だ』と言ってくれる一方、周りの選手からは『いつまでそのスタイルでやるの?』と苦言を呈されるようになりました。でもわたしは、お客さんが認めてるんだからいいじゃん、と天狗になってしまって。みんな分かってない、だからダメなんだよ、みたいな(笑)。ほんとに分かりやすく調子にのってましたね。ただ試合が面白ければいいと思っていました。でもそれじゃダメだと、ガイアが解散してから思い知ることになります」

「なんでもできるって、なにができるの?」

 ガイア・ジャパン解散後、事務所に残って芸能活動をはじめる。プロレスで一度に何千人もの観客を虜にしてきた広田選手は、順風満帆な芸能生活を思い描いていたが、現実はそう甘くはなかった。 「わたしくらいの才能、ビジュアルの人なんて、芸能界には吐いて捨てるほどいるんです。それまで、プロレスは自分を表現するツールだと捉えていたのが、いつしかプロレスにしがみついている自分がいました。なにをやっても、プロレスで得た充実感と比べてしまったんです。小さなエキストラの仕事をバカにして、『広田さくらだよ?』みたいな感じで。あるとき、マネージャーさんがプロデューサーさんに、『広田、なんでもやります』と言ったら、『なんでもできるって、なにができるの?』と言われたんですよ。それを聞いたときに、ここまで言わせるっていうのは本当に申し訳ないし、打ちのめされて、そこでいろんなことに気づきました」 「ガイアの先輩たちは、わたし一人でこの世界を作り上げているわけじゃないということを教えたかったんだと思います。試合をするためにはみんなで雑用もしなくてはいけないのに、わたしは衣装作りのためにミシンをかけていて、それを周りは黙認してくれていたんですよね。なのに天狗になって、その延長で芸能界にいっても、そりゃあダメなわけです。それから運よくプロレスに復帰することができて、挫折しても拾う神がいるっていうのがわたしの持ってる力なのかなとまた調子に乗るんですけど(笑)。でもやるからには、ちゃんと反省して、周りに感謝してやろうと思いました」

不妊治療スタート

 プロレス復帰して、6年が経つ。現在の広田選手は、いわく“菩薩のよう”に懐が深く、後輩たちからも慕われ、かつてないほどプロレスに楽しみを見出している。そんななか、活動休止に踏み切った。“結婚興行”でリングにも上がった旦那さんは、よほど理解があるのだろう。 「いまでこそ、ですね。知り合ったとき、わたしがプロレスラーだと知らなかったので、仕事に対する理解はないし、もともと亭主関白なんですよ。プロレスはやりたくてやっていることだから、『お前の仕事は趣味だろ』みたいな。何度も何度も喧嘩を繰り返して、お互い傷つきながら歩み寄って、いまはわたしの言い分をすべて飲んでくれています。『俺の嫁、プロレスラーなんだぜ』とか自慢してるみたいです(笑)」  不妊について、以前から「俺に原因があると思う」と話していたという。 「お試しのキットは取り寄せていたんですが、やっぱり怖かったみたいで、一年くらい放置していました。でも治療するなら早くしないと、わたしの年齢も上がってくるし。それもまた喧嘩、喧嘩の末、覚悟を決めて検査してくれて、それで精子がゼロだと分かって。そこから病院を調べたんですが、男性の不妊ってほんとに病院が少ないんですよ。あるにはあるんですけど、場所が限られていたり、ものすごく高額だったり。病院を決めるまで、あちこち回りました」  でも「不妊で活動休止」と公表するのに抵抗はなかったのか…後編では、「人生を切り売りするのが私のプロレス」という彼女の覚悟に迫る。 ★旧姓・広田さくら自主興行『産休興行』 新木場1stRING12月12日(土) 開始:18:30(開場:18:00) 自由席3500円 ほか(当日券500円UP) 詳細は http://www.hdk-90.com/shopdetail/000000005315/ 問い合わせ:隙間産業プロモート sukimahitozuma@yahoo.co.jp <取材・文/尾崎ムギ子 撮影/安井信介> ⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】
尾崎ムギ子
1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。「web Sportiva」などでプロレスの記事を中心に執筆。著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』。Twitter:@ozaki_mugiko
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宛て先:sukimahitozuma@yahoo.co.jp
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