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何かあると「謝罪しろ、反省しろ」と叫ぶ人たちの危険

 しかしながら、少年院ではこの「裏表」はさておき、とりあえず謝罪と反省を形にすることばかりを指導しているというのですから驚きです。  以下は、著者が「危うい決意」と称した、少年たちの形ばかりの覚悟が現れた文章。 <「いまわしい過去を心の奥にしまい、第二の人生をこれから歩みたいと思います」> <「自分の弱さに負けるのではなく、自分の甘さに打ち勝ち、少年院で学んだ思いやりを社会復帰していく私の大きな支えとして、青春時代の終着駅からの出発、二十歳となり大人としての社会生活を目指し頑張っていきたいです」> (第2章 少年院に入ると、さらに悪くなる)  不本意ながら「いい子」を演じてきたために犯してしまった罪を償うために、また新たに「いい子」を演じ直しているのですから皮肉です。  さらに酒井法子の『贖罪』を取り上げて、「日々のストレスから薬物へと逃げ込む」という一文に、この種の謝罪や反省に潜むまやかしを指摘します。

酒井法子が薬物事件のあと出した自叙伝『贖罪』(2012年)

「逃げ込む」のではなく、「日々のストレスを紛らわすためには、そのときの酒井さんにとって薬物は必要だった」という捉え直しをしないといけません。 (中略)  厳しい言い方ですが、罪を犯した者は、その行為を「自分の意思で行った」と認めないといけません。それが自分が犯した罪と向き合うことです。> (第4章 「つらい過去」に蓋をしてはいけない)

「謝れ」「反省しろ」社会の息苦しさ

 けれども、こうした“立派に悔い改める”という表向きの態度ばかりが重んじられる原因を、犯罪者だけに押し付けるわけにもいきません。  なぜなら、なにかあると束になって、「謝れ」とか「反省してるのか」とプレッシャーをかけるのは、いつでも“善良な市民”を自認する私たちなのですから。 「強い正義感」という価値観は厄介です。なぜなら、他者にも自分にも非常に厳しい生き方を強いるからです。人が常に正しいことをし続けることなど、絶対に不可能です。  普通は、正しくないことをしても「たまには、仕方ないよな」くらいで済ませたいものです。しかし彼は「正しいことができないときの自分」がどうしても許せないのです。そうして自分自身をどんどん追い込み、自分も他者も傷つける人間になります。> (第5章 子どもの前に、親が自分自身を受け入れる)  昨年亡くなった著者の遺稿をまとめた本書は、“誰もが罪を犯す可能性がある”という想像力を失いつつある社会への警告とも受け取れる、非常に重たい一冊です。 <TEXT/比嘉清六>
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いい子に育てると犯罪者になります

本書の著者・岡本茂樹氏は、2015年6月にお亡くなりになりました。本書の元となる原稿は、新潮新書編集部がご遺族の依頼を受けて整理した遺稿の中に残されていたものです。本文については、誤字脱字を訂正し、重複箇所を削除しましたが、基本的には岡本氏が遺された文章をそのまま収録しております。ただし、タイトル、章題、小見出しについては、編集部の責任において変更しました。

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