「ゆず」の他も似たり寄ったりでした。曲の骨格はフォークやニューミュージックの域を出ないのに、なぜかベーシストがやたらめったら跳ね回っていたRADWIMPS。miwaやSEKAI NO OWARI、「いきものがかり」には、一生、中高生相手に商売し続けるつもりかと心配になります。
みんな表面的には“高級な”音がしているのです。お金がかかっているし、曲の中身はさておきアレンジも凝っている。しかし、その音楽が歴史の大きな流れの中に存在している構図が浮かばないのですね。
先人と照らし合わせて、自分たちに何ができて、何ができないのか必死に吟味する様子。そうした検討の形跡がほとんどうかがえない音で、それが「根拠を失っている」ということなのです。結果出来上がった音楽は、“仏作って魂入れず”そのものでしかない。