さらにイジワルだったのは
イギリスのガーディアン紙。
映画の中から意見が割れそうなトピックをあえてピックアップして、
“本当にそこまでいい映画なのか?”についてどうぞご自由に議論してください、と。そんな記事を1月の段階で掲載していたのです。

https://www.theguardian.com/film/2017/jan/16/la-la-land-ryan-gosling-emma-stone-discuss-with-spoilers
たとえば音楽に関しては、こう煽ります。
「確かに中毒性のある楽曲だけれども、ではどれだけ質が高いと言えるだろうか? 歌詞に苦み走ったような深みはあるだろうか?」
主演のライアン・ゴズリングのピアノ演奏についても容赦しません。
「3ヶ月特訓したにもかかわらず、まともに両手で弾けなかった。それは努力に見合った成果と言えるだろうか?」
最後には映画のテーマについて、こう投げかけるのです。
「夢を追いかける男女が最後にはお互いの関係をあきらめなければならないというストーリーは、ショウビズに限った話なのだろうか? 普通の人たちだって同じような思いをしているのではないだろうか?
そのうえで映画はありふれた展開になりそうなリスクを克服できるのだろうか?
さて、こうした答えのない問題を2時間以上もかけて追及することに、どれほどの面白味があるだろうか?」
もちろん『ラ・ラ・ランド』が楽しかった人、つまらなかった人、色々いるでしょう。大切なことは、このようなコントや記事によって、あまりにも一方に偏り過ぎた意見を押し戻す動きがきちんと働いているということなのですね。
これを日本でやるとしたら、
朝日新聞が“『シン・ゴジラ』は過大評価だ”という特集を組むとか、
NHKが又吉直樹の『火花』をケナした文学青年が法廷で裁かれるコントを放送する、といった具合になるのでしょうが、現状では想像もつきませんね。つまり、それぐらい遅れているということなのです。
その意味で、菊地氏の『ラ・ラ・ランド』全否定レビューが目立ってしまう状況は、日本の社会が極端に摩擦を避けるあまり、ディスコミュニケーションに陥っていることを示しているように感じるのでした。
<TEXT/石黒隆之>
⇒この著者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4