弓さんの曽祖父は東京慈恵会医科大学の創設者、男爵位を授かり貴族院議員も務めた医師でした。祖父も医師で男爵、父は建築家で、いずれもイギリス留学経験のあるダンディな紳士だったそう。また弓さんの祖母は、作家・有島武郎や里見弴を兄弟に持つ、芸術家の家系でした。
そんな血筋の弓さんは、東京・鳥居坂の邸宅で育ちました。暮らしは英国風で、朝食はトーストとバターとマーマレレードに紅茶。真夏の自宅でも祖父は三つ揃いのスーツに身を包み、父は弓さんには英語で話しかけていたといいます。
弓さん自身は学習院、田園調布雙葉学園、女子美術大学、セツ・モードセミナーで学び、おしゃれと洋服と絵が大好きな少女として育ちました。途中、髙木家は戦争で家も含めて全財産を失いますが、家族はとても明るかったそう。
没落する暮らしの中で、弓さんは「生きること=働くこと=お金を稼ぐこと」と実感。大好きなおしゃれや絵を描くことを生かして、イラストレーター、デザイナーの先駆者となります。
やがて28歳で渡仏。親しいデザイナーの高田賢三氏や荒牧太郎氏と合流します。日本の雑誌のファッションページのスタイリングや、雑誌「アンアン」のイラストルポ連載、「プチバトー」などのブランドや、自身のブランドのデザイナーとして活躍してきました。
若さの秘訣は「面白そう!と思ったらやってみること」
79歳とは思えない元気と若さの秘訣はと尋ねると、
「いくつになっても好奇心を忘れないこと。面白そう! と思ったら、あれこれ頭でシミュレーションして迷う前に、やってみる。そして分からないことは知っている人に、素直に『教えて』と聞くことかしらね」という答えが。
テンペラ画を描くのが趣味
「少しばかり挫折しても大丈夫。そのときはわからなくても、時を経てそれでよかったのだと、理由が見えてくるから。だから落ち込んでもいじけずに明るく前を向くことよ」
著書『
パリが教えてくれたボン・シックな毎日』では、86の衣・食・住・対人関係・マインドのアイデアが紹介されていますが、79年の圧巻の人生が凝縮されているかのようです。
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奇跡の79歳 vol.1―
<TEXT/女子SPA!編集部>
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