その後、一度だけきちんと話しがしたくて男と会った。
「俺がすべて悪い。申し訳ない」
外は雨が降っていた。あたしは車の屋根にぶつかる雨音よりも大きな声で泣きわめいた。この男を殺してあたしも死のうと思い、カバンの中にナイフを忍ばせておいた。身体中の血液が下に降りる感覚がして目の前が真っ白になる。

あたしは男の胸を何度も叩き、ナイフを取り出そうとしたとき、白い小さな紙を見つけて手に取った。映画の半券だった。
「娘と昨日、観てきたんだ……」
きいてもいないのに小さな声で男が言った。あたしはハッと我に返った。この人は「おとうさん」だったんだなと。
夫であり父であるこの男を、あたしだけが奪う権利などない。浅はかな自分がひどく腹ただしかった。あたしと逢った日、奥さんは必ず公園に行って泣いていたそうだ。それもあたしの“小説”を読んだからだ。
最後は綺麗に別れたかった。あたしは顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、何度も男を抱きしめた。出会ってからすでに3年も経っていた。
もう、奥さんのいる男なんか好きにならない。すっかり疲れ果てていた。離婚をして家族も家も男も失ったあたしにいつまでも光は見えなかった。
目の前の仕事を淡々とこなし、時間が解決してくれると信じて毎日を過ごした。だけれど、思い出は美化されるばかりで、涙腺が壊れたかと思うほど涙がたくさん溢れ出た。

何度も電話番号のメモリーは消した。けれど、メールは消すに消せなくて、ほとぼりがさめて冷静になってから、実は今でも時おり逢っている。ひどい話だ。
「愛している」「好き」なんていう言葉は今のあたしたちにはなくて、たまに逢って肌と心を重ねるだけの関係だ。
不倫は周りを見えなくし、誰かを傷つける不貞行為だ。
奥さんがパンツを洗う人。あたしは脱がす人。と、昔なにかのドラマで言っていた。
あたしは脱がすほうがいいとずっと思っていた。でも、やはり、
洗うほうがいいに決まっている。婚姻の事実はとても強くてとても偉大だからだ。
不倫に苦しむのも自分で招いた結果だ、と思いながら今日も生きていく。
<TEXT/藤村綾>
【藤村綾】
あらゆるタイプの風俗で働き、現在もデリヘル嬢として日々人間観察中。各媒体に記事を寄稿。『俺の旅』(ミリオン出版)に「ピンクの小部屋」連載、
「ヌキなび東海」に連載中。趣味は読書・写真。愛知県在住。