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「一生、母を許さない」“毒親育ち”の女性がされてきたこと

 母親との確執を抱えたまま、苦しんでいる大人たちがいます。バツイチシングルマザーの藤村綾さんも、そのひとり。「父も母も生涯許さない」とまで言う、その親子関係とは――。(以下は藤村さんの寄稿)

「母の日」が大嫌い

 あたしは、「母の日」が昔から大嫌いだ。 cd7722b1e445919ea0c84bfdd3fa0c9d_s「白いカーネーションきれい! 赤じゃなくても喜んでくれるかな」  小学4年生だったあたしは、なけなしのお小遣いで白いカーネーション2本を買った。母に渡す前、ワクワクしていた。「喜んでもらえる! きっと褒めてくれる」と。  だけど、その思いは一瞬にして打ち砕かれた。  白いカーネーションを見た母は鬼の形相になった。 「なんだ! 早く死ねってことか!」  あたしからカーネーションを取り上げると、くしゃくしゃに折り曲げて「バカヤロウ!」「バカヤロウ!」と連呼し、あたしの頭を何度も何度も叩いた。  白いカーネーションは死んだ母親にあげるものだとは知らなかった。
子供

写真はイメージです(以下同じ)

お前なんか産まなきゃよかった!」  日常的な軽い虐待は慣れていた。あたしは決して涙など見せなかった。 「ごめんなさい、ごめんなさい」  母は気分屋だった。あたしは、常に母親の顔色をうかがいながら生きてきた。

男と駆け落ちをした母。父とあたしは捨てられた

 あたしが高校2年生のときに、母は少しの荷物と4歳下の弟を連れて、男のところへ行ってしまった。 「俺が小5のときさ、男紹介されて飯連れてってもらった」 「しょっちゅうキスマークつけて帰ってきた」 「1週間、家に帰らないなんて、いつものことだった」  ある程度大人になってから弟から聞いたセリフだ。 「俺の前でベタベタして気持ち悪かった。俺が子どもだからってバカにしていたんだよ!」  弟も、私も無力な子どもだった。  あたしと父親は捨てられた。毎日酒を飲む父に、「(母の)居場所を教えろ」と殴られ、首をしめられ、失神したこともある。 「知らないから。本当に。知らない」  父親の肉体的暴力と精神的暴力はおさまらず、あたしは17歳のときに家出をした。 酒瓶「産まれてきてはいけなかったんだ」  自分を戒めるように、たくさん援助交際をし、たくさん自分を穢(けが)した。
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男に捨てられた母が、お金をむしり取っていく
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