父は酒に溺れて、15年前の54歳の時に脳梗塞で死んだ。
弟は立派に喪主をしたが、あたしは涙すら出なかった。父のことも今だに憎んでいる。
その父が死んだとき、母は笑っていた。
男に捨てられた後、母は近所に越してきて、「お金がない、お金がない」とあたしに詰め寄りお金をむしりとっていった。
あたしが風俗で稼いだ金は母親の元にいく。あたしが風俗で働いていることにも何も言わず、穢(きたな)い金をむしり取っていく、意地汚い母。
そして、あたしも子どもを産んだ。母親に愛された記憶がまるでないあたしは、子どもを愛せるか不安だった。でも若くして産んだからこそ、一緒に成長し、ちゃんと愛せていると思う。
母はあたしの子をまるで可愛がらず、世話もしてくれなかった。
今、あたしが子どもに感じている「無償の愛」「親心」を母は持ち合わせてはいなかった。感情が欠落していたのだ。
現在、母はすっかり年老いて弟夫婦に面倒を見てもらっている。
「軽い認知症だから顔を見せてやれよ」
弟は度々連絡をよこす。義妹も母親の面倒を見るのが嫌でグチ電話をしてくるが、あたしは知らないふりをする。いまさら会いたくもないし、喋りたくもない。
弟はたまにポロリとこぼす。「
腐っても母親だ」と。そして、「
はやく死んで欲しい」と。
あたしが今度母親に会うときは、死んだときだと決めている。
抱きしめてほしかったし、ほめてほしかった。一緒に並んで買い物もしたかったし、母の日にみんなでお祝いをしたかった。
あたしは母親に捨てられたのではない。あたしが捨てたのだ。
母親をこの先もずっと許すことはないだろう。たとえ、あたしのことがわからなくなったとしても。
<TEXT/藤村綾>
【藤村綾】
あらゆるタイプの風俗で働き、現在もデリヘル嬢をしながら各媒体に記事を寄稿。『俺の旅』(ミリオン出版)に「ピンクの小部屋」連載、
「ヌキなび東海」に連載中。愛知県在住