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紅白の“低視聴率”と、桑田佳祐の隠れたメッセージ

 1月2日、2017年の紅白歌合戦の視聴率が明らかになりました。39.4%で前年を下回ったばかりか、2年ぶりに40%を割り込んでしまったのだそう。

 安室奈美恵(40)や桑田佳祐(61)も特別枠で出演したのに、思ったほど数字があがらなかったんですね。内村光良(53)の司会ぶりも好評で、ネットなどでは「去年のドタバタより全然よかった」との意見も多かったのに、一体なぜなのでしょう?

若い広場

紅白で桑田が歌った「若い広場」公式MVのキャプチャ

桑田佳祐が紅白でやった「涙くんさよなら」とは



 改めて曲目リストを見てみると、まるでヒット曲がないのに気づきます。演歌の大御所やポップスのベテラン勢以外で、知っている曲がどれだけあったでしょうか。趣味やジャンルが細分化されてしまったのだから仕方ないなんて話はよく聞きますが、それだけでは片付けられない話だとも思うのです。

 なぜ、こうも右から左へ通り過ぎてしまう何のアイデアも感じられない曲ばかりなのか。それっぽい空疎な言葉に適当なコードをあてがって、メロディとも呼べないオタマジャクシの羅列にはめ込んだだけでソングライターと呼んでもらえるヌルい現状。

 サウンドやアレンジにはそれなりに勉強して手の込んだ雰囲気があるけれども、肝心の素材が著しく劣化している。基本の味付けを知らないのに、エスニック料理に手を出してしまったような不味さ。しかし当人たちに自覚がない様子からして、音楽における味覚障害のようなことが起きているのかもしれません。

 そこで、桑田佳祐がNHK朝ドラ『ひよっこ』の寸劇で「涙くんさよなら」(作詞・作曲:浜口庫之助、1965年)を歌った意味を改めて考えてみたいと思います。

浜口庫之助

浜口庫之助(1971~1990)が作ったヒット歌は、「バラが咲いた」「夜霧よ今夜も有難う」(いずれも作詞作曲)などなど挙げきれない

浜口庫之助が27年前に警告したとおりに…



 これは単なる昭和ノスタルジーでも、浜口氏の生誕100周年をお祝いしたのでもなく、むしろ現状の流行歌へのあきらめにも似た批評性から生まれた企画だったのではないでしょうか。

一人紅白

桑田が2008年に行ったライブ「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」では、昭和の大ヒット曲をメインに61曲を歌った

 なぜなら、浜口庫之助の著書『ハマクラの音楽いろいろ』(1991年朝日新聞社刊 2016年立東舎文庫より復刊)で、27年も前から警鐘が鳴らされていたからなのです。

 まず浜口氏は歌の成立する条件を、こう説明します。

たとえば、詩を左手、曲を右手として、両手を打ち合わせると「パン」と音がする。その音が歌なのだ。左手でも右手でもない。まして片方だけでは歌にはならない。>(p.76)

 この理屈ではない情緒の納得するところに歌が生まれるというのですね。どれだけ高尚なメッセージでも音楽として違和感があるなら失敗だし、逆に<超ハッピー スーパーハッピー のりのり!>(『Super Happy』m.c.A・T、1995年)のように、とことんくだらないフレーズでも立派な歌になる例もある。これが「パン」と鳴るか鳴らないかの差なのですね。

 そして浜口氏はこの「パン」が失われつつあると感じ、こう指摘していたわけです。

<いまの若者たちは、リズム感が非常に発達していると、一般にはいわれているが、音楽的見地に立つと、僕は必ずしも、そうは思わない。進歩しているのは楽器ばかりだ。(中略)

 とくに日本語の音韻とか、音感とかを、正しく把握せず、言葉を無視して作っているから、いい音が出ない。変調をわざと狙っているのだという人もいるが、僕にいわせれば、まだ未熟だということだ。>(p.75)

 この浜口氏の論を踏まえると、「涙くんさよなら」と「若い広場」(作詞・作曲:桑田佳祐、2017年、『ひよっこ』主題歌)を披露した桑田佳祐の意図が見えてこないでしょうか。


 筆者は当初「若い広場」を聞いたときに、なんでいまこんな歌声喫茶みたいな曲を出すんだろうと訝(いぶか)ったのですが、紅白のあと、これが基礎の修養を失った現代へのラディカルなメッセージだったと気付かされました。

 これは言うまでもなく、桑田佳祐が2014年末ライブでちょび髭をつけて紫綬褒章で遊んだのとは比較にならないほど、本質的な危機感であるはずです。

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>
⇒この著者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】

石黒隆之
音楽批評。ipodに入ってる曲は長調ばかりの偏食家




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