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不仲だった母が余命10ケ月…そのとき娘は? 瀧波ユカリの看取り体験

 誰にも必ずや訪れるだろう“母との別れ”。日ごろの親子関係がどうであれ、これまで元気に小言を言っていた母親の弱った姿は、娘として身につまされるものがあるでしょう。「元気なうちに優しくしておけばよかった」などの後悔もよく耳にしますよね。  そう遠くない将来、自分の身にも起こり得る“そのとき”のために、娘として今できることは何なのでしょうか? ありがとうって言えたなら書影 母親のすい臓がん発覚から看取るまでの体験を記したマンガ『ありがとうって言えたなら』(文藝春秋)の作者・瀧波ユカリさんに、母の病気と向き合う娘の思いをお聞きしました。

距離を置いた矢先に、「余命10ヶ月」の宣告

――お母さまの病気が発覚するまでの親子関係はどのような感じでしたか? 瀧波ユカリさん(以下、瀧波):母は気が強くて感情の波が激しく、相手の状況も見ないで口が動くタイプだったので、家族兄弟みんな苦労してきました。私も、ケンカしては離れ、また近寄ってはケンカして……の繰り返し。  母との関係に悩み疲れたころ毒親本ブームがきて、「私も母と少し距離を置こう」と決めたんです。そうして衝突を避けることで、5年後や10年後には今よりいい関係になれるかもなって。  少しずつ連絡の頻度を減らして「気がラク~」と思っていたのですが、その矢先に母のがんが発覚し、余命10ヶ月と告げられました。
ありがとうって言えたなら P8

『ありがとうって言えたなら』より

――病気を聞いたときのお気持ちは? 瀧波:いろいろな面で予定が狂ったなって思いました。  母との関係性を見直すのはあと10ヶ月じゃ絶対ムリだし、父を亡くした経験から大変さも想像がついて、アレもこうなる、きっとアレもこうなる、コレはもううまくいかない……というのがバーっと浮かんできたんです。ショックだし、悲しくもあるけれど、「もぅ本当なんでこんなことに」という気持ちのほうが大きかったです。  ただ、その後、がんについて検索が止まらなくなったり、何も考えられなくなったり、激しい腰痛に襲われたりと、心とカラダにさまざまな形でショックの波が襲ってきました。病気ということは理解して状況も把握できているけれど、考えがまとまらなくて、次々起こる問題にそのつど対応していくので精一杯でしたね。
瀧波さん1

『臨死!江古田ちゃん』『はるまき日記』などでおなじみの瀧波ユカリさん

心を寄せ合うどころじゃなかった

――病気発覚後、親子関係は変わりましたか? 瀧波:私は何となく、母が変わるだろうと思っていたんです。限りある命だからって打ち明け話をしてくれるとか、ワーって怒ることがなくなるとか、優しくしやすい雰囲気になることをイメージしていたんですね。  でも実際は、母は閉ざしてしまい、心を寄せ合うどころじゃない感じ。母自身が病気に対して心の整理ができずにいたからだったのですが、私もそこに気づくまで時間がかかって、電話で上手く話せず落ち込んだり、見舞いに行っても何もできずに帰る日になったり、「こうしてあげよう」って思うとか、してあげるとか、全然そんな段階じゃなかったです。  もともとこちらでコントロールできる存在ではないので、病気になっても変わらなかったということですね。
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親が元気なときから「やっておけばよかった」こと
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