樹木希林と内田裕也のように…別居しても離婚はしない夫婦の気持ち
俳優の樹木希林さんが、15日に自宅で亡くなったと報じられました。75歳でした。2005年に乳がんの手術を受け、2013年には全身にがんがあると公表していました。
「樹木希林さんはその演技も生き方も、常に世間を驚かせ続けた『唯一無二』の存在だった」と語るのは、男女事情を長年取材し著書多数のライター・亀山早苗さん。樹木希林さんと夫・内田裕也さんとの「ふしぎな夫婦関係」を、亀山さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿)
樹木希林は1964年、俳優の故・岸田森さんと結婚するも4年後に離婚。そして73年、30歳のときにミュージシャンの内田裕也氏と再婚。ところが1年半で内田氏は家を出て別居した。81年には内田氏が、妻の同意を得ずに離婚届を提出、樹木さんは離婚無効の訴訟を起こして勝訴した。
以来、ふたりはたまに連絡をとりあう関係となっていたが、2005年、彼女の乳がん発覚を機に連絡が密になり、年に一度はハワイでともに過ごすように。別居婚のままじつに40年以上、夫婦でい続けた。そして今回の妻の訃報に、夫はまだ心の整理がついていないと、今日までコメントも出せずにいた。
このふたりが、どういう心の変遷を経てきたのか非常に興味深い。
だが、こうした状況にある夫婦が実際にいる。
ミオさん(51歳)は、22年間、夫と別居しているが離婚はしていない。26歳で7歳年上の男性と結婚、すぐにひとり息子をもうけたが3年たらずで子どもを連れて家を出た。
「夫と価値観が違いすぎた。結婚したときは夫が大人に見えたけど、子どもができてみると夫は子どもより幼すぎて(笑)。私はとある資格をもっていて、産後、その資格を活かして再就職しようと思ったんですが、夫は『いつでも家にいてほしい』と。こんな夫と生涯一緒にいるのはイヤだと家を出たんです。私もわがままでしたけど後悔はしていません」
その後、彼女は仕事を始め、友人知人に助けられながら子どもを育てていく。ただ、夫は毎月、養育費だけは振り込んでくれた。夫に離婚届を送ったが、それがサインされて送り返されることはなかった。
「毎日多忙で、ふと気づいたらもう子どもが小学校に上がる年になっていた。このままではまずいと思って夫に電話したら、『離婚はしたくない』と。子どもの父親として入学式にも来ました。それからも学校行事にはけっこう来ていましたね。子どもも父親には自分から電話をして会っていたようです」
ミオさんに恋人がいた時期もある。息子がそれを父親に話したとき、彼は「おかあさんだってひとりの人間だよ。恋人だって必要。きみも大人になればわかるよ」と言ったそうだ。彼女はそれを息子から聞いた。
「私ももともと夫が憎くて家を出たわけではない。ただ、縛りつけられるのがイヤだった。でも、心のどこかにきちんとけじめをつけたほうがいいんじゃないかという気持ちもあったので、息子が高校に入るとき、『そろそろ白黒つけたほうがよくない?』と言ってみたんです。
そうしたら夫は、やはり離婚はしたくない、と。どうしてなのか尋ねたら、『僕はずっときみのサポーターでいたいから』って。
そんなことを言いながら、彼に恋人がいたことも知っています。ただ、彼は“妻”は私だけだと決めていたみたい。向こうがそうなら、それでもいいかなと私もだんだん思うようになっていったんです」
樹木希林さんには、西武・そごうの企業広告にて
— 西武・そごう (@seibusogo_jp) 2018年9月17日
「年齢にとらわれることなく、自分らしく装い、自分らしく生きる。ファッションに、人生に、もっと冒険してもいいんだ。」という素敵なメッセージをいただきました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。https://t.co/dSYap61mId#樹木希林 #わたしは私 pic.twitter.com/skf9CfEVEy
内田裕也が家を出て別居。そのまま、40年以上連れ添った
別居しても離婚はしない夫婦関係とは
「“妻”はこの人だけ」と決めている夫
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