続いて、2つ目のポイントである
〈 快感と性欲の多様性の厄介さ 〉を説明します。
性欲は、欲の1つですから、快を求めるものです。ですが、性欲が求める快は肉体的快感だけではありません。ときめきや、好奇心、承認欲求、征服欲なども満たされれば快を生みます。また、自己解放願望も性欲につながるんだと最近わかってきました。性欲が求めるものが1つでは無いのですから、性の対象も1つになるわけではありません。
肉体的快感を求めるだけなら、信頼できる相手、つまり付き合いの長い相手とするのが1番です。でも、ときめきという名の新鮮さや、征服欲といったエゴが満たされません。気持ち良さに引っかかりがないというか、パンチが足りないって感じです。
信頼を増していくのに時間がかかる一方で、時間とともにときめきが失われ、征服感も弱っていく。この矛盾が快感についてまわるから厄介なのです。
1人の人に性欲を抱き続け、その人との関係の中だけで性欲を満たし続けることが難しいのはこういうわけです。
2つのポイントを踏まえると、
1人の人を信頼し続け、性欲を持ち続け、その人に抱き続けるのは奇跡です。それなのに、そうあるべきだと正解を押し付けられ、無意識のうちに目指してしまう。そこからはみ出れば倫理的ではないと断罪される。あなたがおっしゃるように不倫という言葉は手垢がつき、ネガティブなイメージが先行しています。他にも、姦通、不義密通、不貞行為、婚外セックスと様々な言い方がありますが、どれも少なからずネガティブなイメージがあります。そのネガティブさはどこから来るものでしょうか?
僕は社会的規範の窮屈さにあると思います。実際、一夫一妻制の文化ではないところでは、断罪されない婚外セックスがいくらでもあります。
あなたは、自分の生き方が間違っているのかもと悩まれていますが、現代の日本社会における規範からすると間違っていたとしても、全人類、普遍的な人間という視点から見れば間違ってはいないのです。社会性と、人間が持つ自由な本性の両立をうまくすればいいのです。(既に出来てるから、問題ないですけどね。だから悩む必要なし。)
それをずるいと断罪してくる人はもちろんいますが、あなたの人生はあなたのものです。当事者同士で話がついていれば問題ないと僕は思います。話がつくというのは、言葉にして話をすることだけではなく、暗黙の了解で落としどころ(バレないようにするとか、風俗だけにするとか)が決まっているというのでも良いと思います。自分のしたことの責任は自分で取る覚悟で、自由に生きてください。とりあえず僕は、あなたの考えがすごく理解できます。
森林原人さん
<文/森林原人>
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