高市首相「マウント取れる服」発言は“適切”だったのか?“ブランド主義”に陥る日本と、海外リーダーたちの“決定的な差”
私たちが日々着ている服は、他人にどんな印象やメッセージを与えているのでしょうか。そして、そもそも服を着る目的とは何なのか——。
「外交交渉でマウント取れる服、無理をしてでも買わなくてはいかんかもなぁ」という高市早苗首相の発言から考えます。
事の発端は11月14日参議院予算委員会で質問を行った参政党の安藤裕参院議員による「できれば日本最高の生地を使って、日本最高の職人さんが作った服でしっかりと外交交渉してもらいたいんですよ。安物の服で対応していたらなめられます」という発言でした。
こうした文脈から、「マウント取れる服」発言に繋がったのです。
ネット上では賛否が分かれました。「マウントを取る」との表現が「ヤンキーだ」など、「他国への敬意を欠いている」「首相として言葉が軽すぎる」と批判的な意見が上がる一方で、支持する声もあり、「日本のトップなんだから何十着でも買って」「ファッションアドバイザーを付けてもいい」といった高市首相の発言を後押しする意見もありました。
石破茂前首相及び石破内閣の面々の身だしなみが批判されたことも記憶に新しいですが、日本のトップが服装や外見にこだわること自体は悪いことではありません。
しかし、今回の高市首相と、そのきっかけとなった安藤裕議員の発言をよく見ると、少し引っかかる点もあります。
それは、服をモノとしてしか見ていないのではないか、ということです。「最高の生地」「安物はなめられる」、「マウント取れる服」発言から透けて見えるのは、あからさまなブランド主義です。わかりやすく言えば、“SupremeやMoncler”をステータスとして崇める庶民と何ら変わらない、貧相な見識なのではないでしょうか。
そこには、高価格な服を着れば人間もそのまま上等になれるという不思議な思い込みがあります。安藤議員が高市首相に託したのも、“最高の服を身にまとった最高の総理として外交に臨んでほしい”、そんな思いだったのでしょう。
しかし、残念ながらそう単純なものでもありません。
「マウント取れる服」と首相発言の背景
ブランド信仰と服の「モノ」としての価値
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