彼と婚約破棄して考えた「幸せな人生って一体なに?」
令和元年、私は一人になった。
突然ですがこんにちは。恋愛ジャーナリストのおおしまりえです。“恋愛の専門家”として恋愛相談に乗ったり婚活スポットに足を運んだり、結婚データをさらってみたり、そして私自身も幸せのために日々トライアンドエラーを繰り返す生き方を仕事の1つとしています。
恋愛のプロのように思われる私ですが、令和直前、4年半付き合っていた男性と別れることになり、久々に野に放たれることになりました。
気づけば恋人がいないことがずいぶん久しぶりです。改めて、一人感じる東京の風はちょっとだけ冷たい。そして、一人で帰る家も、なんだか寂しい。まあそれは慣れの問題なのですが、ふと思うのです。
「で、私の人生の“正解”はなんなのだろうか?」と。
いきなり“正解”なんて言い方をしましたが、そもそも人生に正解、不正解なんて概念はありません。
いわば私にとっての“最大限満足する人生”とはなんなのかという素朴な疑問です。よく考えれば、私たち女性は、幼少の頃から様々な幸せのフォーマットを教え込まれて来ました。
・女の子らしくしなさい
・好きを仕事にしなさい
・いつか白馬に乗った王子様が現れる
・大人になったら好きな人と結婚する
・悠々自適に過ごす
・子供を生んで一人前
・家族とは仲良くしなさい
・良妻賢母
中には差別的な言葉もありますが、時代や人によって、様々な“幸せ”が私たちの中に刷り込まれてきました。でも、時代は令和。幸せのフォーマットは画一的ではありません。
男性の幸せのモデルも多様化しつつありますが、女性のソレに比べると、まだある程度はフォーマット化されているように思います。
やりたい仕事、結婚、子を持つ、マイホーム、出世、結婚などなど。複数を両立させても、ベースは社会的な成功にあるような気がして、選択肢も評価軸が増えたとしても、まだまだシンプルなイメージです。
恋愛のプロのように思われる私ですが、令和直前、4年半付き合っていた男性と別れることになり、久々に野に放たれることになりました。
気づけば恋人がいないことがずいぶん久しぶりです。改めて、一人感じる東京の風はちょっとだけ冷たい。そして、一人で帰る家も、なんだか寂しい。まあそれは慣れの問題なのですが、ふと思うのです。
「で、私の人生の“正解”はなんなのだろうか?」と。
自分の人生の“正解”を考える
男性の幸せはバリューセット、女性の幸せはビュッフェスタイル
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