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学校に広がる「2分の1成人式」に「巨大組体操」。感動を押しつけるのは教師?親?

 昨今、部活動での事故や先生の不祥事などのニュースとセットで、“教員や公教育の劣化”を指摘する声も高まっています。しかし果たして事態は、そんなに単純なものなのでしょうか。本当に学校や教師だけが悪くなり、その責任を彼らに負わせて「はい、終わり」でよいのでしょうか。 感動を押しつけるのは教師?親?

親に「感謝」させる「2分の1成人式」が学校で大流行

 『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』の著者・内田良(名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授)は、そんなありがちな構図に待ったをかけます。  そもそも論として、これまでの議論に欠けていた要素を次のように指摘する。 <教育という「善きもの」は、善きがゆえに歯止めがかからず、暴走していく。「感動」や「子どものため」という眩い教育目標は、そこに潜む多大なリスクを見えなくさせる。>(はじめに より) 教育という病 さらに問題は、「学校の価値観が唯一絶対の力をもっている」学校化社会(注1)が一般市民の間に浸透していることなのではないか。そうした学校で育った保護者や市民が、ややもするとリスクを助長する側に回ってしまっているのではないか。  本書のタイトルでもある「教育という病」の根っこが複雑に絡み合っていることを著者は示唆します。  その“症例”として挙げられているのが、巨大化する組体操、「2分の1成人式」(※)、部活動での体罰と事故、あまりにもブラックな部活動顧問の労働実態。そのいずれもが、善意と正しさと情熱によって支えられているため、アクシデントが見過ごされてしまう土壌が出来上がっているのかもしれません。 (※)「2分の1成人式」=小学4年生が10歳になった節目を祝うもの。将来の夢などのスピーチや保護者への感謝の手紙を渡す式次第が主流だという。その中で内田氏は「保護者への手紙」を問題視する。なかには家庭で虐待を受けている子どもがいるかもしれないのに、一律に行われる“感謝”によってその事実が覆い隠される危険性があるというからだ。 <群読>「10才のありがとう」~CD『2分の1成人式』より~ (すくいくキングレコード公式) ※各学校の1/2成人式では、よく「10才のありがとう」の群読や合唱がある ⇒【YouTube】http://youtu.be/rG5uBKpmX7Q

運動会の巨大ピラミッドで障害を負った子も

 その点で象徴的なのが、第1章で取り上げられている組体操。かつては団体の出し物でソーラン節をやっていた学校も乗り換えるところが増えたといいます。 ピラミッド のみならず、年々人間ピラミッドの段は増え、スケールは巨大化の一途をたどる。つまり、運動会の目玉としてスペクタクル化している現状があるのですね。ちなみに兵庫県のある中学校で成功したという10段ピラミッドの高さは、建物の3階に相当するといいますから恐ろしい……。  もちろん危険を訴える声はあがるし、それでなくとも「もし不意に崩れてしまったら」と考えればその代償は計り知れません。実際に組体操によって「負傷」ではなく完治することのなない「障害」を負った児童もいる。本書で引用されている『学校の管理下の災害(平成25年版)』には3件の例が報告されています。人目につく部分で傷跡が残ってしまう醜状障害の小6と小5の女児。そしてピラミッドが崩れた拍子に耳を打ち付けたのか、聴力障害になってしまった小6の男児。  組体操を奨励する関係者の言う「感動」「一体感」「達成感」という崇高な意義は、一人の子どもの人生を左右しかねない脆い基盤の上に立っていると認識しなければなりません。 ⇒【後編】「子どもの安全よりも“集団感動ポルノ”」に続く http://joshi-spa.jp/300375 (注1)オーストリアの哲学者、イヴァン・イリイチによる語。学校を卒業すれば一人前とみなされる社会、学校的で受動的に知識を受け入れることが是とされる社会(内田良氏による例)を指す。 <TEXT/比嘉静六>
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教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」

私たちが「善きもの」と信じている「教育」は本当に安心・安全なのだろうか?学校教育の問題は、「善さ」を追い求めることによって、その裏側に潜むリスクが忘れられてしまうこと、そのリスクを乗り越えたことを必要以上に「すばらしい」ことと捉えてしまうことによって起きている!巨大化する組体操、家族幻想を抱いたままの2分の1成人式、教員の過重な負担…今まで見て見ぬふりをされてきた「教育リスク」をエビデンスを用いて指摘し、子どもや先生が脅かされた教育の実態を明らかにする。

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