アジアン隅田のテレビ出演拒否で考える、女芸人「ブス」イジり問題
先日、女性お笑いコンビ・アジアンの隅田美保が「ブスいじりで婚期を逃している」と発言したことで注目されている、テレビにおける「ブス」イジり問題。この問題はこれからどうなっていくのか、さまざまな媒体でテレビ・芸人に関するコラムを執筆する「てれびのスキマ」氏に寄稿してもらった。
アジアン隅田が、自身への「ブス」イジりが嫌でテレビ出演を拒否していると7月14日発売の『FLASH』7月28日号で報じられた。一部では「引退説」まで語られた。
隅田は「よしもと芸人ぶちゃいくランキング」で2010年から3年連続1位を獲得し殿堂入りするなど、女芸人界の中でも有数な「ブサイク」キャラ。それが本人的には嫌だったというのだ。記事の中で隅田はインタビューにこう答え真意を語っている。
「今年40歳。私は前から結婚の意識が強く、真面目に婚活したかった。ふだんから『ブス、ブス』と言われるのがホンマに嫌で。バラエティ番組でみんなにいじられるせいで、婚期を逃している。相方と会社に話し、断れない一部の仕事以外は、お休みしてました。ただ、引退はないです。もうテレビは出ないけど、アジアンで漫才は続けたい」
7月19日の『サンデー・ジャポン』の中でこの記事に触れた爆笑問題の太田は、真面目な表情で「ブスってことで笑いを取るのは、日本のお笑いレベルの問題かもしれないよね」と語った。これは、その後すぐ相方の田中に対し「チビはどう思う?」と同じ身体的特徴をイジるボケのためのフリでもあったわけだが、いくばくかの本心も含まれたものではないか。
確かにテレビで女芸人への「ブス」イジりは定番だ。もっと言えば、テレビにおける女芸人は「可愛い(美人)」か「ブス」「デブ」(か「おばさん」)しかいない、こととされている。そして、ほぼ間違いなく容姿や年齢についてイジられる。
これは一部の男性芸人に対する「ブサイク」「イケメン」イジりとは全く違う。男性芸人はそれがキャラクターにおけるほんの一部分の要素であるのに対し、女芸人の場合、本人が望む、望まないにかかわらず、それが占める割合が不必要に大きすぎるからだ。
折しも、先日の『FNS27時間テレビ』で行われた「TED」というコーナーで、光浦靖子が「テレビとブサイクの許容範囲の秘密」なるテーマでプレゼンをしていた。
「TED」は『スーパープレゼンテーション』の名でEテレでも放送されている、アメリカのプレゼンイベント「TEDカンファレンス」のパロディ。本家は文化・芸術・科学・ITなどの最先端を行く専門家たちのプレゼンショーだが、「(T)テレビが(E)えらいことなってるけど、(D)どーすんの? カンファレンス」と題して芸人たちが今日のテレビ界への提言・苦言を真面目にプレゼンするという企画である。
そこで光浦は、「テレビの許容範囲は年々狭まってきていると言われているが、ブサイクの許容範囲は広がっているんじゃないか」という説を語ったのだ。
光浦はオアシズのデビュー当時(20年あまり前)と、現在のブサイク女芸人の扱われ方の違いを具体例を挙げながら検証していく。
例えば、デビューしてまもなく『めちゃ×2イケてるッ!』の前身番組である『とぶくすり』に、オアシズの中から光浦靖子だけがレギュラーに抜擢された。
コンビ揃って出演したかった光浦は、大久保が外れた理由をスタッフに尋ねるとこう言われたという。
「光浦は笑えるブス、大久保は笑えないブスだから」
笑えるか、笑えないかの境界線はどこにあるか、を考えた光浦はひとつの結論に達している。それは当時の大久保が「ブス」の自覚がなかったため、彼女の仕草、行動から「女」が出てしまっていたからではないか。「当時は『女らしい』ことなど『女』が出てしまうと『女を捨ててない』=『笑えない』と簡単に片付けられていた」と。
一方、今はむしろ、大久保が「いい女」を気取っているときにこそ、笑いが起きる。
「ブサイクが女を出すことを世の中が受け入れるようになったんです。これがブサイクの許容範囲が広がってきたということです」と光浦は熱弁を振るう。
確かにそのとおりだろう。だがこれは「ブサイクの許容範囲が広がった」というよりも、単純な「ブス」イジりが通用しなくなったということではないだろうか。
⇒【後編】「もう、『ブス』イジりでは笑えない。新たな女芸人像とは?」に続く http://joshi-spa.jp/317464
<TEXT/てれびのスキマ>