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恋愛がわからない、性的なことが気持ち悪い…アセクシャル女性の告白

 年頃になったら誰かに恋するのが当たり前――という従来の“常識”が揺らいでいます。恋愛感情も性的欲求も抱かない、「アセクシャル」と呼ばれる人が最近少しずつ増えているようです。  そういう人は以前からいたのでしょうが、口に出さなかったり、もっと昔(明治以前とか)は恋愛なしで結婚して普通に生きていく人もいたでしょう。
女性と花

画像はイメージです

 アセクシャルの胸のうちはどんな感じなのでしょうか。「恋愛感情を持ったことがない」という「やむ」さん(25歳・女性)に寄稿してもらいました。

恋愛感情としての「好き」が、よくわからない

 あなたの初恋はいつでしたか?その頃を思い出すと、ほほえましくもあり甘酸っぱい気持ちになるのではないでしょうか。  実はわたし、「初恋」を経験したことがありません。  生まれてから25年が経ちますが、人を好きになった経験もないので「好き」や「恋」という感情は、漫画や友人のエピソードから学びました。ごく一般的であたりまえとされる、恋愛感情として人を好きになることを経験したことがないのです。
やむ

やむさん

 小さな違和感が確信に変わったのは高校生の頃です。 「好きな人とかいないの?」  これは聞かれて困る言葉ベスト3に入ります。なぜならわたしには「好き」や「恋」がよくわからなかったからです。正確に言うと、自分が恋愛の当事者になることが理解できません。  少女漫画を読んでいるように、第三者として恋愛に関わることはできます。でも、自分が登場人物として人を好きになることも、恋愛を楽しむこともできませんでした。  漫画で描かれる恋愛は、最終的には2人が想い合うことが描写され、お互いが納得して結ばれます。1+1=2と誰もがわかるように、その答え合わせを見ているような感覚に近いです。  ですが現実では、そううまくいきません。恋愛感情としての「好き」を当然にもっていることが前提とされ、わたしのような人は透明人間扱いされるからです。  恋愛の当事者として男女が向き合うと、相手からは「好き」を向けられます。これはわたしにとって、好意を押し付けられているようにしか感じられないのです。なぜなら好きを返してあげられないからです。相手はさも当たり前かのように、好きを返してもらえる可能性があると期待します。当たり前やふつうから外れたわたしは、その当事者として向き合う自信がありませんでした。

男子から告白されるかも…気持ち悪くて逃げた

 高校3年生になったある日、人づてに放課後の教室に呼び出されます。恋愛のれの字もわからないわたしにとって、その呼び出しは疑問だったのですが、友人から「もしかして告白なんじゃない?」と言われて、ようやく気づきました。  このときはっきりと嫌悪感を抱いたことを覚えています。  自分が恋愛の当事者になってしまい、好きというむき出しの感情をぶつけられそうになったからです。嫌悪感と同時に自己防衛の意識さえ働きました。  呼び出された教室にあえて早く向かい、誰もいないことを確認して、「誰もいなかったから帰ってしまった」と逃げ道を作りました。相手からしてみれば最低な行為ですが、高校生のわたしにとって、逃げることしか頭にないほど気持ちの悪い出来事だったのです。  男性からの好きという感情には必ずと言っていいほど性欲が絡みます。告白をされそうになったとき感じた嫌悪感の正体は、性的対象として見られていることでした。それを目の当たりにしたとき、欲をはらんだ暴力的な感情から逃げてしまったのです。
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男性とのお付き合いは1ケ月で終わった
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