ところが悲しんでばかりもいられなかった。世間は大騒ぎとなり、宮崎さんの進退問題は、夫婦関係はどうなるのかと日本中の目が注がれていたからだ。
元衆議院議員・金子恵美さん(撮影:亀山早苗)
「正直言って、私は離党くらいですむかなと思っていたんです。ところが悩みに悩んだ結果、彼は議員を辞職すると。彼がいちばん嫌うのは言行不一致なんです。育児休暇をとる、妻子を大事にすると宣言したのに、そういう男が浮気をしていたというのは、言行不一致の最たるものだと。そこは自分で自分を許せなかったんでしょう」
そして宮崎さんは、自分の辞職を承認する衆議院本会議に自ら出席した。通常ではあり得ないことだ。
「彼がどうしても出席するというから、
朝、私がバッヂをつけてあげて、嘘偽りなくあらいざらい話してきなさいと送り出しました。テレビでその本会議の様子を見てつらかったですね。私なら絶対に出席できない。周りはバカだなという目で見ているでしょう、中にはほくそ笑んでいる人もいるかもしれない。でも宮崎は礼儀正しく、堂々と一礼して去っていきました。彼の新たな面を見たような気持ちになりましたね」
コトが発覚して1週間後、彼は潔く辞職したが、金子さんにとってはそこからが大変だった。宮崎さんは自身の議員宿舎を引き払い、金子さんの宿舎に同居、さらに以前からの予定通り、新潟から両親が手伝いに来てくれたので、宿舎内は三世代5人が同居することとなったのだ。金子さんの父は新潟の月潟村で23年間村長をつとめ、その後、新潟市議会議員を務めた人である。
「夫にとっては針の筵(むしろ)みたいな生活だったかもしれませんね。ただ、両親はいっさい夫を責めなかったし、そのことに触れることさえありませんでした。土下座して謝ろうとした宮崎に、『
そんなことはしなくていい、今は子どものことを第一に考えて、みんなで前を向いていこう』と言いました。父は優れたリーダーシップを発揮してくれたんです」
2ヶ月間、家族はそうやって宿舎にこもって生まれたばかりの子どもを軸に、結束を強めていったのだろう。夫婦ふたりだけで煮詰まらない状況もよかったのかもしれない。
「あれで両親が宮崎を責めたりしていたら、私は夫と両親の狭間に立たされて正しい判断ができなくなっていたかもしれません。宮崎は精神的に不安定になっていましたが、あの2ヶ月で家族として、パートナーとして私たちの関係が深まったのは確かですね」