――眞島さんの映画デビュー作は『青~chong~』(1999)ですが、当時リアルタイムで観ました。
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『破戒』より
眞島「ええ! 本当ですか? それはありがとうございます」
――昨年、TOKYO MX2のPFFアワード特集で放送されたのはご存じですか? ご存じでしたら、放送時に評判を調べたりは。
眞島「はい、知っています。本当に恥ずかしい限りです。調べたりなんて、怖くて怖くてできません(苦笑)。
こういう仕事をしていると、自分の若いときの映像を目にすることがどうしても出てきますが、やっぱり恥ずかしいです。見た目だけじゃなくて、良し悪しは別としても、芝居に関してもどうしても今の自分の目線で見てしまいますから。なんとも言えない気持ちになります」
――李相日監督とはいまでもお付き合いは続いているのですか?
眞島「はい。舞台を観に来てくださったりもしますし、関係性が途切れることはないですね。やはりこれからも特別な存在ですね」
『破戒』より
――20代のころの自分に声をかけられるとしたら、なんと言ってあげたいですか?
眞島「『もっとリラックスしろよ』と言いたいですね。どうしても役には必要のない力が入っていたりしていましたから。難しいですけどね。もちろん作品のカラーや役柄にもよりますが、『もっと楽しんでやってもいいんじゃない?』とは言ってあげたいです。
あとは評価を気にしたり。特に僕らの仕事は『やってやるぞ!』みたいに力んでも結果が出るわけではないんですよね。なので、もちろんふざけてやれということではなく、余計なことは考えずに、『楽しく集中してやればいい』とは若い子に言ってあげたいかなと思いますね」
――役者さんはいくつになっても続けられる仕事でもありますが、たとえば60歳になったとき、どんな役者、人になっていたいですか?
眞島「自分のことだけで言えば、役者としてはどんどん年を重ねていっても、いろんな役をいただける俳優でいたいというのは、シンプルにあります。あと、眞島個人としては、かっこつけた言い方になりますけど、包容力のある人になっていきたいですね。
変に頑固にならず、面白いおじさんになっていたいです」