親を「しょうがない」と割り切ることで親子関係が変わる/村井理子×こだま対談<前編>
どんなに時代が変わっても、家族関係の悩みは尽きることがありません。実体験をもとにした小説『夫のちんぽが入らない』でデビューし、家族や日常について、赤裸々かつユーモラスに書き続けているこだまさん。
翻訳家として多数の著作を手がけながら、崩壊した自身の家族についてのエッセイ『家族』や、認知症の義母の日常を書いた『全員悪人』など、多くの家族エッセイを書いている村井理子さん。
こだまさんと村井さんは、その圧倒的な筆力で、自身の家族をときにユーモラスに、ときにままならない他者として描き、家族に悩む多く人々の共感を得てきました。今回、初対面となったふたり。家族エッセイの是非や、親との確執を克服したきっかけ、父親たちのおかしな終活について語りました。
村井:こだまさんはエッセイを書いていることを誰にも知られてないんですか。
こだま:そうですね。家族にすら話してないです。
村井:これだけ短期間で何冊も出されてるから、近しい人にはもうバレてるのかと思ってました。
こだま:私は地元に友達もいないですし、周りに本屋もない辺境の地に住んでいるので、バレようがないんです。
――村井さんの本は、ご家族も読まれてるんですか?
村井:夫は読んでますね。
こだま:『全員悪人』は認知症になった義理のお母さんについての物語でしたが、旦那さんから何か言われませんでしたか。
村井:言われてないですし、言わせないです(笑)。あの本は認知症になった義母の一人称で書きましたが、事前に夫と交渉したんですよ。私たちが住む滋賀から、義両親のいる京都まで、私が通って世話をする代わりに「義両親のことは書くよ」って。夫は渋々了承してました。
こだま:そんな取引があったんですね(笑)。
村井:夫は仕事が忙しくて京都まではなかなか通えないんです。だから彼には義両親の生活費や医療・介護費を負担してもらってます。さらに、エッセイを書く許可までくれたので、むしろありがたいです。
こだま:そういった役割分担があるとは知りませんでした。
村井:『全員悪人』ではそういう込み入った事情はあえて書きませんでした。認知症や介護を大変な出来事として書くのではなく、目の前で日々進んでいくあまりにも興味深い義母の変化を書きたいという欲望が原動力だったので。
こだま:それは好奇心のようなものですか。
村井:そうですね。「人間の脳って本当に不思議だな」と思いながら、義母を観察して書きました。脳というものすごい可能性を秘めた場所が、砂山が崩れるように日々崩壊していく。その様子ってナショジオの自然ドキュメンタリーを見ているようで、感激しかないんですよ。
――息子さんたちも、村井さんのエッセイについて何か言っていますか?
村井:16歳になる双子の息子がいるんですが、前に「俺のことは絶対に書かないでくれ」と言われました。私の文章は読んでないみたいだけど、同級生から「お前の母ちゃんがなんか書いてるの、ネットで見たぞ」とか言われるらしくて。編集の方にお願いして、ウェブ掲載されている息子に関する文章は削除してもらいました。「書かれない権利」もあるので、そこは尊重してますね。
こだま:家族のことをエッセイに書くことの是非ってよく話題になるじゃないですか。そのたびに身につまされて「ちゃんとしなきゃ」ってスタート地点に戻されるんです。でも夢中で書いているうちに、またはみ出していく。
村井:よくわかります。昔は「書いて何が悪い!」と自分の書きたい欲を押し通してましたが、最近は将来読まれたときに、どう思うんだろうってよく考えます。そう言いながら懲りずに書いてしまうんですよね。
こだま:私は家族や周りの人に「こだま」が知られてないのをいいことに、わりとゆるい基準でなんでも書いてます。でも、私がエッセイを書いて出版していることがバレたら、洗いざらい話す覚悟はできていて。まあ、勘当されるんでしょうね。
村井:新刊の『ずっと、おしまいの地』とか親が読んでも喜んでくれると思います。
こだま:最近のエッセイは全然読まれてもいいんですけど、なにせ1作目が『夫のちんぽが入らない』なので(苦笑)。怖いもの知らずで自分の最大の秘密を書いたうえに、両親のこともだいぶ悪く書いたので、読んだら絶対怒ると思います。
エッセイのために夫と交わした契約
反省しても懲りないふたり
1
2