
※画像はイメージです(以下、同じ)
セクシュアリティとは、人間の性のありかた全般を指す言葉。これは2019年に厚労省研究班が作った「Tokyo Sexual Health」というプログラムで規定されている
セクシュアリティの定義である。そこには生物学的な性、自認する性、性的指向などが含まれる。
かつてだったら、生まれたときに生物学的に女であれば、そのまま本人も「女である」と自認して成長、異性を好きになるのが当然で、結婚して子どもをなす、というのが通常のパターンだった。
ところが現在は違う。生物学的に女に生まれたとしても、性自認は男かもしれない。さらに恋愛対象が男かもしれないし女かもしれない。
さらに社会的・文化的に作られる性別=ジェンダーの領域になると、そこはもっと細分化されるようになってきている。
LGBTQのみならず、他者に恋愛感情は抱くが性的欲求は抱かない人もいれば、複数の人に恋愛感情や性的欲求も抱く人もいる。
自分が何者であるかは、まさに「個人」によって違う。それを口にすることができるようになったことだけは進歩かもしれない。
ふたりは「新しい家族の形」を選んだ。離婚届を出したことで、別居するのではないか、ryuchellに好きな人ができたのではないかと噂が飛び交っているが、今のところ4歳の息子を真ん中に父と母がパートナーとして寄り添う形の家族ができあがっている。
家族であっても夫婦ではない。パートナーであっても男女関係ではない。枠にとらわれず、個人が、それぞれのカップルが自由に自分たちにとっていちばん自然な形を選択できる。そんな世の中の扉を開いたことになるのではないだろうか。
彼らは「自分たちのありようを認めてほしいと訴えるつもりはない」らしいが、実際に正直に打ち明けたことで、迷っている人たちの背中を押すことにはなるかもしれない。
「ryuchellは子育てのいいとこ取りをしている」という意見もあるが、発表後のインタビューを見ると「なにひとつ今までと変わっていない」と彼らは言っている。ただ、ryuchellさんの気持ちは楽になっただろうし、すべてを知ったことでpecoさんも彼への信頼感が増したのではないかと推察できる。
いつかふたりが別居したり、どちらかに新たな恋人ができたりしたら、また世間は騒がしくなるのだろう。だが、それもまたふたりの人生であり、きっとこのふたりなら話し合って冷静に穏やかに相手をリスペクトしながら、子の親として関わっていけるはずだとも思う。