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藤井風、黒人差別用語の使用を“無知”と謝罪。本当に知らなかったのだろうか

「N」ワードが立場を離れ、ファッションアイテムになる危険性

 そこで2つ目の問題が生じます。藤井風の“無知”や“不勉強”が真実だとした場合、体得したエッセンスを無邪気に出せてしまう危険性です。  藤井風にとって「Sir Duke」(スティーヴィー・ワンダー)もニッキー・ミナージュの「N」ワードも、等しく“カッコいい”ものとして消化されてしまったということですね。このように歴史や生活に対する想像が失われると表現がナイーブなものとなる恐れがあるのです。  もちろん、サンプリングやオマージュの手法自体を否定するのではありません。しかしながら、ただ気に入ったからという理由で借用してしまうと、“文化の盗用”と見られる可能性が生じます。  今回の場合は、黒人女性というマイノリティーの立場から「N」ワードを用いたニッキー・ミナージュと、その種の問題とは無縁で遊び半分に拝借した藤井風の関係性を考える必要があるでしょう。  明確な意図があったミナージュと、自らの趣味嗜好を披露するためにコピーした藤井風とでは、同じ言葉でも意味が違ってくる。原曲を知らない藤井風のコピーを聞いたファンからすれば「N」ワードがただのカッコいいファッションアイテムになってしまう。当然ニッキー・ミナージュの狙いとは異なります。それが“文化の盗用”に当たるのですね。  それゆえに、不勉強よりもこのためらいのなさの方を筆者は懸念します。ケガをしたときのダメージがより大きくなり得るからです。

藤井風の謝罪が残した教訓とは

 もっとも、これは藤井風にだけ起こりうることではありません。筆者も含め、多くの日本人にとって洋楽の歌詞の意味や背景をある程度切り離して音楽を聴ける点はメリットです。同時に、偉大な芸術の多くは困難や辛苦から生まれることも忘れずにいたいものです。  藤井風の真摯な謝罪は、そんな教訓を残してくれたのだと思います。 <文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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