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「女は監督になれなかった」「可愛くしないと売れない」―男社会に抗ったふたりが語る、“怒り”の原点|映画監督・浜野佐知×俳優・菜葉菜

 100年前、無戸籍児として過酷な幼少期を送りながらも、一人の人間としての尊厳を求めて国家権力と対峙した女性・金子文子。2月28日より公開される映画『金子文子 何が私をこうさせたか』は、朴烈という同志と共に大逆罪に問われ死刑判決を受けながらも、自らの意志を貫き通した彼女の壮絶な生き様を描き出している。 映画『金子文子 何が私をこうさせたか』 本作のメガホンを取った浜野佐知監督と主演の菜葉菜さんに、作品に込めた思いと、監督自身の人生とも重なる“怒り”の原点、そして今を生きる私たちにも通じる男社会の構造について聞いた。

獄中手記を読んで、文子と私の人生がダブった

浜野佐知監督と菜葉菜さん

浜野佐知監督と菜葉菜さん

――そもそも監督が金子文子に惹かれたのはいつごろからですか。 浜野:高校生のときに「青鞜」や平塚らいてうなどを知って、いろいろ読むようになったんですけど、大逆事件で死刑になった管野スガや憲兵に惨殺された伊藤野枝の方がインパクトが強くて、金子文子にはそれほど興味をひかれなかったんです。それから30年くらいたって文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』を読んで衝撃を受けました。文子と私の人生がダブったんです。以来、ずっと心の中に文子がいたんです。  文子は無戸籍で親や親族にも虐待され、ずっと差別と孤独の中で生きてきて、17歳でひとり上京、そこから泥の中を這いずるようにして自分の思想をつかみとっていった。私が映画監督になりたくて上京したのも17歳、でも当時の映画会社の採用は「大卒・男子」だけ。女は映画監督になれなかったんです。そんな男社会の映画界で、私も泥の中を這いずりながらピンク映画の監督になった。  37歳で映画制作会社を立ち上げ、ピンク映画を量産していた1996年の東京国際映画祭-カネボウ女性映画週間で「日本でいちばん多くの劇映画を撮った女性監督は、田中絹代監督の6本です」という公式発表があったんです。私は日本の女性映画監督として、ここに存在しているのに、“公式”には存在していない。ピンク映画は、映画としてカウントされないのかと猛烈に怒りがわきました。男でなければ映画監督になれないことへの怒り、ピンク映画だからと存在しなかったことにされた怒り……。

きちんと自分を主張していいんだと、解放されて

菜葉菜さん菜葉菜:監督の原動力は“怒り”ですよね。私の中にもそういう気持ちはあります。私も監督のように文子のように、きちんと“自分”を持って生きたいと思っていた。でも役者は使われる立場だからと、おじさんプロデューサーにニコニコしたり可愛くしたりしないと売れないと思っていた。でも私にはそれができない。そういうことができる女優さんと比べられたり、実際、そういう女優さんのほうがいい役がついたりというのを見てきました。  本来、なにくそっ、このやろうと思うのが自分の性格だし、自分を守るためにも自己主張しないといけないのに、やはり弱い立場だからと流されて黙ってしまうこともあった。ただ、この映画で文子を演じて、やっぱりいいんだ、きちんと自分を主張していいんだと、少し解放されたような気がしています。 映画『金子文子 何が私をこうさせたか』 浜野:なんだかんだ言っても、この国は男社会で、それはまったく変わってないんですよ。今よりもっと男権社会だった100年前の日本で、国家権力を敵に回して一人闘ったのが文子なんです。なのに、今まで文子は朴烈のパートナーとして、朴烈とセットで語られてきた。私は文子を朴烈から切り離して、ひとりの人間として描きたかったんです。  「すべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべきであると信じています」。  文子の言葉ですが、文子にとって、平等であること、自由であることは生きることそのものだったんだと思います。 浜野佐知監督
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他人の思惑より、自分がどう生きるか、それだけを考えろ
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