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流産を経験した女性が語る「“自分の体内で命が消える”ことへの向き合い方」

4歳の長女に告白 未知の兄弟に関心を持つ

母と娘 ある日、娘が幼稚園で同じ組の男子の話をしました。弟が生まれたのだと。でもママのお腹には死んだ赤ちゃんがいたこともあるのだと。とてもドライな口調で娘は話し、私達はただぽかんとしていました。もちろん私達の身に起こったことは秘密にして・・・。  そして先月、娘に私の流産について告白しました。きっかけは一緒に遊びたがる娘に「今、お皿を洗ってるから」と断ると「赤ちゃんがいたら、その子と遊べるのに」と言われたこと。娘が兄弟を望んでいることは知っていました。最近の私の心は平穏だったので、私はその場で告白を決意しました。蛇口の水を止め、娘の目線の高さまでしゃがみ、こう言いました。 「あのね、本当はここ(お腹を撫でながら)に赤ちゃんがいたんだけど、死んじゃったの」「そうなんだね。幼稚園の○○のママもね……」と娘は前にもした話を繰り返しました。子供の理解とはすんなり入るもので、自然現象に対して無感情な反応があるので興味深いです。  娘は顔を曇らすことなく私の話を聞いていました。別の日には突然「死んだ赤ちゃんの名前は何?」と言ってきたこともあります。娘が見たこともない兄弟に関心を抱くと、私は少し嬉しくなります。これもまた助産師のカウンセリングで感じたような優しい慰めになるのです。

流産と共に生きる

 もうすぐ、第二子の出産予定日です。私の心は落ち着いている時もあれば、ふとした瞬間ざわつきます。この記事を書いている最中も、平常心を保っている時と涙目になる時があります。幸い悲しみは長く続きません。  周囲の人から「2人目はほしい?」と聞かれることがあります。その時は「ほしいけど、流産したの」と言うようにしています。反応は人それぞれです。「失礼な質問をしてごめん」と謝る人もいれば、「よくあることだよね。辛かったね」と真剣な眼差しを返す人も。事実を告げる時はいつもドキドキしますが、話して嫌な思いをしたことはありません。  今後、私は子供を産めるのか分かりません。将来に期待もあれば、2度目の流産もあり得るので大きな不安もあります。流産経験者にとって次の妊娠は悲喜こもごもなのです。  出産予定日には夫と久しぶりにお墓参りに行きます。この特別な追悼に娘を巻き込むべきなのか否か、今はまだ自分の中で判断を下せていません。私はきっとまた墓石の前で号泣して、泣き止んで、前を向いて。毎年同じことを繰り返すかもしれません。流産は閉じられる人生の一幕ではなく、忘れることのない人生の一部だから。 <文/町田文 医療監修/水谷佳敬> 【水谷佳敬】 2006年東邦大学医学部卒。 亀田総合病院にて家庭医療研修修了、長崎医療センターで産婦人科研修。さんむ医療センターで総合診療科・産婦人科を兼務。2022年6月よりファミール産院いちかわ勤務。無痛分娩などに従事。医療従事者者向けの講演・執筆など多数。産婦人科専門医・母体保護法指定医、家庭医療専門医・指導医。
町田文
東京都出身。2005年からドイツ在住。ミュンヘンでドイツ人の夫と娘と暮らす。アウグスブルグ大学社会学科修士課程修了。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員。「時事ドットコム」(時事通信)、「ジュニアエラ」(朝日新聞出版)、「Vesta」(味の素食の文化センター)などに寄稿。
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