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流産を経験した女性が語る「“自分の体内で命が消える”ことへの向き合い方」

流産の告知と手術のあとも冷静だった私

 ここまでの出来事を淡々と描いていると読者のみなさんは私の冷静さに驚くかもしれません。  実際、流産告知後の1か月間は本当に淡々としていました。最初の3日間は涙さえ出ませんでした。妊婦の15パーセントは経験すると言われている負の統計に私が当てはまってもおかしくない、とか、今までの人生で大した災難にあっていないのだから、今回は私に舞い降りても仕方がないだろう、とかこの因果はしょうがないんだと考える傾向がありました。 「自分はこんなにドライでどうなんだろう。流産が判明してから赤ちゃんのことを<胚>と呼んでいるのはおかしいのか」(※2)。当時、私がフェイスブックに投稿した一言です。今思えばこれはおそらく子供と精神的な繋がりを持たないために無意識に引いた境界線。<胎児>と呼ぶことに急に抵抗を覚えました。  同時に私はもやもやし始めました。早めに仕事復帰し、家には何も知らない娘がいて、自分の感情を露にする場所が自宅にも外にもないことにストレスを感じたのです。  私達夫婦は幼い子に流産、つまり死について話すのは酷すぎる、という考えからこの話題を娘の前では避けました。友達にはオープンに打ち明けていましたが、じっくり語り合う機会はあまりありませんでした。 (※2 通常は不妊治療で受精された受精卵のことを「胚」といい、子宮内の胎児のことはそう呼びません)

同じ経験をしたカウンセラー

カウンセラー「流産は悼(いた)んでよいことなのです」と言われたことがあります。近所の助産師の言葉で、今でも心の支えになっています。ドイツでは助産師が妊婦の流産・死産の心のケアをできます。健康保険対象のサービスなので、私はまだ<冷静なふり>をしていた時期に二回カウンセリングを受けに行きました。(※3)  上記のような心境について話したり、病院での体験を述べたり、話せば自然と涙がこぼれて会話を中断しました。ママ友数人の食事会で、妊娠後期の人がいたため赤ちゃんの話題が多く辛かったことなども話しました。  カウンセリングは1回約1時間。目の前の助産師は私の話をただそのまま受け止めてくれました。  そしてその人自身も3度目の妊娠が流産だったこと、既にいた子供2人に隠さず話したこと、しばらくは夫と思い出の場所に散歩することを追悼の日課にしたこと、など彼女流の立ち直り方法を教えてくれました。あくまで参考のために私に強要することなく、優しい言葉で話してくれました。 (※3 本記事の医療監修・水谷医師のコメント「日本にはこのような制度・習慣がありません。流産後の胎児組織は検査に提出されたまま「保管」され続けるか、医療廃棄物として「破棄」されています。流産後の心理的なケアの重要性は一部叫ばれてはいますが、制度化されておらず保険診療の適応もありません。少子化対策の一環として、流産経験者もまた前向きになれるよう支援する政策が必要だと常々感じています。」)
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亡くした赤ちゃんと本音で<向き合う>
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