なぜ“真面目な父親”は5歳の娘を死なせたのか。目黒虐待死事件、加害父の歪んだ正義感とはーー事件追うルポライターが語る
2018年3月に、東京・目黒区のアパートで、船戸結愛ちゃん(5歳)が両親から虐待を受け死亡した事件から8年が経った。
死亡時、結愛ちゃんの身体には170か所以上の傷や痣が確認され、体重は約12.2kgと、標準より5kgも下回っていた。
先に香川県から目黒区へ転居していた父親のもとへ母親と上京してから40日足らずの間に、体重が4kgも減ったのだ。父親から繰り返し暴行を受け、亡くなる直前はほぼ寝たきりの衰弱状態にあったという。
なぜ結愛ちゃんの死は防げなかったのか、虐待の背景には何があったのかーー。『ルポ 虐待 ――大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)などの著者であり、本事件を含む数々の虐待事件を取材してきたルポライターの杉山春氏に、前編に引き続き話を聞いた。
【前編】⇒「おねがい ゆるして」目黒・5歳女児虐待死から8年。“衝撃の反省文”の真実と、母が娘を守れなかった理由――事件追うルポライターが語る
前編では、結愛ちゃんの母・優里が虐待を防げなかった背景に、父・雄大による心理的DVが存在していることを振り返った。
一方で、気になるのは「なぜ雄大が結愛ちゃんを虐待するようになったのか」という点だ。
事件後、船戸夫妻のアパートからは、結愛ちゃんが書いたとされるノートが見つかった。雄大は「しつけ」として、結愛ちゃんに毎日4時に起床するよう強制し、その時間と体重などを大学ノートに書かせていたという。
「もうパパとママにいわれなくても しっかりと じぶんから きょうよりかもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことしません ゆるして」
ノートには、親にゆるしを乞う悲痛な内容が何ページにもわたって書き連ねられていた。ただし前編にも記したように、後の裁判でこの文章は結愛ちゃんが雄大から怒られるのを防ぐために、優里が付き添って一緒に書き上げたもので、判決文においても、「(結愛ちゃんの)心情をそのまま認定することはできない」とされている。
雄大は優里と籍を入れた2016年4月直後から、結愛ちゃんに日常的に暴行を加え、過度な食事制限を課すようになったとされる。
さらに香川に在住していた一家が東京に移住した2018年1月以降、雄大の虐待はエスカレートしていく。雄大の過酷なルールを破ると、身体的暴行に加え、冷たいシャワーを浴びせるなど、非道な仕打ちを繰り返した。
亡くなる約1週間前ごろから、結愛ちゃんの体調は急激に悪化し、自力で動くこともままならない状態に陥っていた。食事も受けつけず、水を飲んでも戻してしまうほど容態が悪化していたが、両親は病院を受診させず、結愛ちゃんはそのまま命を落とした。
なぜ雄大は、結愛ちゃんを追い込んだのか。まずは彼の生い立ちを振り返りたい。
本事件の取材を重ねてきた杉山氏は、法廷での本人や家族、双方に面会した心理鑑定者の証言などをもとに次のように語る。
雄大は岡山県に生まれ、転勤族の子どもとして育ち、高校時代は北海道で迎えた。幼い時から両親は不仲で、中学時代にはいじめのようなものも体験していた。その後、雄大は都内の私大に通うため上京し、卒業後はIT関連の会社に就職したという。
「勤め先が繰り返し吸収合併され、雄大は大手企業の社員となります。その過程で札幌に異動しますが、職場に適応できなかったようです。不登校の子どものように、毎朝嘔吐しながら出勤するような状況でした。会社に申し訳ないという気持ちで辞めたとのことですが、会社に適応できない自分が悪いという気持ちが強く、自分自身を守る力が乏しかったと私は感じています」(以下、杉山氏)
結局、雄大は退職し、友人の誘いでススキノの接客の店で、ボーイとして勤務を始める。その後、さらに誘われて香川県高松市内のキャバクラに籍を移し、そこでキャストとして働いていた優里と出会う。
「裁判で雄大は、このとき絶望していたと言っています。大手企業のサラリーマンから、地方のキャバクラの黒服になったことに絶望していたという気持ちはわかる気がします」











