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73歳の作曲家がブレない理由。乳がん・心身症や介護を越えピアノ弾き語りを45年

乳がん闘病や母親の介護を経て腹が決まった

 完璧にやらなければと思っていた彼女が変わったのは、50歳を越えて乳がんになったころからだ。 「しこりがあったのは気づいていたんです。でも父をがんで亡くしているし、不安で怖くて病院に行けなかった。仕事で気を紛(まぎ)らわしていたんですよね。だから結局は、手術、放射線、抗がん剤、ホルモン剤とフルコースになって……。  ただ、春先、入院しているときに病室の窓から外の景色を見て、ああ、こんな時間を過ごしたことはなかったなあと感じたのね。それと同時に、どんな思想や理想をもとうが、私も単なるヒトという個体に過ぎないとよくわかった。無意識のうちに命の瀬戸際を感じとっていたのか、肝が据わって心身症がおさまってしまったんですよ(笑)」 作曲家・吉岡しげ美さん そして吉岡さんは「無事に生き延び、今、再発していないんだから大丈夫」と信じて生活しているうちに60代となり、今度は母親の介護がのしかかってきた。そこで、もうくよくよしていてもしかたがないと腹を決めた。 「9年間、入退院を繰り返す母を看ました。けっこう大変だったけど、私しかいないし、たったひとりの母ですから。  最初のコンサートのときから、つまりゼロからの私を知っているのは母だけ。ずっと応援してくれていましたね。それがうっとうしかったこともあるけど、3年前に亡くなってからはやはり寂しいなあと思います」  さらにその後はコロナ禍で音楽活動も厳しい日々が続いている。それでもたどりついた45周年。 「名誉にもお金にもならないことをしてきたのかもしれません。集客がうまくいかず、どうして人にわかってもらえないんだろう、とにかく聴いてほしいだけなのにと悩んだこともある。でも今になってみると、ひとつのことを続けてきたからこそ時代が見えたなと思いますね」

ぶれることなく自らの道を追求し600以上を作曲

 詩のみならず、万葉集や加賀千代女など、短歌や俳句にも曲をつけている。それらはすべて、吉岡さん自身にとって意味のあることだった。 「なぜこの詩に、この短歌に曲をつけたのか。私、全部説明できるんです。今はこういうのが流行っていると言われても迎合しなかったし、ぶれなかった。自分にピンとこないものはやらない。詩人や歌人、その作品に巡り会えたから、私は今、ここにいられるのかもしれませんね」  自分の意志がぶれることなく、他人に阿(おもね)ることもなく、自らの道を追求してきた吉岡さん。出会った詩人、歌人は30人以上、600以上の作曲作品が彼女の人生の柱となっている。 【吉岡しげ美】 ピアノの弾き語り・作曲家。武蔵野音楽大学、日本女子大学、同大学院修士課程修了。1977年以降、日本の女性詩人の詩に曲をつけてピアノの弾き語りを始め、日本をはじめ海外でもコンサートを開催。1986~88年カリフォルニア州バークレーに住む。七夕伝説発祥の地・中国鎮江市と日中友好七夕コンサートを開催、2010年8月「鎮江市栄誉市民」の称号を授与。作曲・編曲のほか、演劇、ミュージカル、映画などの音楽担当も。大学でも教鞭を執っていた。 <写真・文/亀山早苗>
亀山早苗
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio
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