『土竜の唄 FINAL』東宝
地に足の着いた若手俳優という印象のあった生田斗真に変化が訪れたのは映画『土竜の唄』(14年)だろう。素っ裸で走る車のフロントに縛られるようなおバカな潜入捜査官役によって、これまでの落ち着いた感を払拭した。彼が内在する巨大なエネルギーと丁寧で緻密な役造形をようやく思う存分、外に出すことができた代表作としてシリーズ化もされた。
『土竜~』の前に蜷川幸雄演出の舞台『ミシマダブル』(11年)で三島由紀夫の『サド侯爵夫人』で女性役、『わが友ヒットラー』でヒットラー役を演じたことも大きかったであろう。等身大の青年や格別に美しい人物という役割ではない、異性の役や解釈の難しいヒットラーという人物を演じたことで自身の能力を生かす場所を拡大したのではないだろうか。
自身の能力を生かす場所の発見の端緒は02年、劇団☆新感線に出演したことがきっかけであろう。ここでものづくりの楽しさを実感し、エネルギーを思う存分発揮できる場所は海のように広いことを知ったのだろうと想像する。
2017年、『彼らが本気で編むときは、』でトランスジェンダーの役を演じたとき、大きな肩幅をすぼめて編み物する仕草に、徹底的に仕草を研究していくことで役の心を掴(つか)み取る俳優だなと感じた。
『イケパラ』の生田斗真と小栗旬が『鎌倉殿』で思う存分、ちょっとくせ者ふうに演技
『鎌倉殿の13人』の仲章は、生田斗真の気高く美しい顔立ちと、細やかなところまで行き届いた演技力と、あふれるエネルギーがうまいこと融合した役であると考えていいだろう。
そう思うと、2000年代は「イケメン」にカテゴライズされる顔が邪魔だったのではないか。かといって汚れ役をやるのも……というところでコツコツと演技という爪を研いでいて、うまくイケメンアイドルとして消費されることを避けてきて今があるのではないか。00年代~10年代のはじめは「イケメン」ブームが最高潮で本質がかき消されてしまう危険性に抗っていた若い俳優は多かったはずだ。
例えば『鎌倉殿』で仲章に目の敵にされる義時を演じる小栗旬も『イケパラ』の頃、イケメン枠にはめられていた。演技を見てほしいがどうしても小栗旬として見られ、何をやっても好意的に受け入れられることに物足りなさを覚えながらコツコツと舞台で演技を鍛えていた頃である。
『イケパラ』に出ていたふたりが、『鎌倉殿』で、かたや胡散臭い貴族(生田)、かたや人を陥れる血も涙もない人物(小栗)を思う存分、ちょっとくせ者ふうに演じていることは実に痛快であった。
◆『鎌倉殿の13人』第46回「将軍になった女」 NHK総合ほか 12月4日(日)午後8時~
(C)NHK
新たな鎌倉殿を迎えようと朝廷に伺いを立てる北条義時(小栗旬)、大江広元(栗原英雄)たち。実衣(宮澤エマ)が野心を燃やし、三浦義村(山本耕史)が暗躍する中、京では鎌倉への不信感をさらに高めた後鳥羽上皇(尾上松也)が、藤原兼子(シルビア・グラブ)、慈円(山寺宏一)と共に今後を見据え、鎌倉への圧力を強めていく。一方北条家では、思い悩む泰時(坂口健太郎)をよそに、のえ(菊地凛子)が愛息・政村(新原泰佑)を…
<文/木俣冬 写真/©NHK>
木俣冬
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『
みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:
@kamitonami