「#MeToo」に火をつけた大物プロデューサーの性暴力事件を描く。『SHE SAID』が伝えること
性的暴行のシーンを直接見せない演出の意義
本作は「性的暴行のシーンを直接見せない」演出がされている。だが、そのことがかえっておぞましさを際立たせているとも言える。
映画の冒頭から、服を抱きかかえ必死で走る女性の姿が描かれることもかなりショッキングだ。さらに、性被害者が淡々とワインスタインの言動を語る場面や、ワインスタインと性被害者の本物の音声が流れる場面もある。
そこで映し出されているのは、性被害を受けた場所である「部屋」や、その外の「廊下」だけなのだが、あまりに生々しい言葉の数々から観客は「想像」で補うため、性的暴行のシーンそのものがなくても、彼女たちの嫌悪感や恐怖がこれでもかと伝わる。
そして、ワインスタイン本人の「顔」も劇中ではいっさい映さない。その演出もまた、取材の最中で、その顔を見せない巨悪が「この事象の裏に存在していた」事実を想像させる効果を生んでいる。同時に「この最悪の性加害者の顔を作品には残してはならない」という、作り手の矜持も感じさせた。
世の中には、性的暴行のシーンを直接的に描いてこそ、登場人物の痛切な心情を伝えるタイプの作品もある。だが、この映画がそうしなかった、「SHE SAID」のタイトルさながらに現実にもあった被害者の証言を主軸に構成し、あえて「見せない」演出にしたのは、彼女たちの勇気ある行動と言葉に敬意を払った結果とも思えたのだ。
誰にとっても他人事ではない
言うまでもなく、本作で描かれた問題は、映画業界だけではないのはもちろん、日本でもまったく他人事ではない。社会に生きるひとりひとりが性暴力・セクハラを許さない確固たる意志を持つことが大切という意識も新たにできるだろう。
その理由もまた、劇中で2人の女性記者が、何度も何度も、地道な取材と交渉を続け、やっとのことで記事が世に出せたという、あまりに困難な道のりが描かれているためだ。何より、その告発記事で世界が変わったのは、紛れもない事実。だからこそ「バトン」は、世界中の人々に渡されているとも言える。ぜひ劇場で、そのことを実感してほしい。
<文/ヒナタカ>
ヒナタカ
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:@HinatakaJeF
1
2








