
繰り返しになるが、本作の鈴木亮平のことを“衝動的な美しさ”だと筆者は思っている。龍太に出会い、なりゆきでメイクラブに身を任せていく浩輔が、具体的な衝動にはじめて駆られる場面がある。
それはベートーヴェンなどのクラシック音楽を高めの音量でかけていた浩輔が、BGMを歌謡曲に切り替える瞬間だ。部屋のスピーカーから劇場のスクリーン全体に大音量で流れるのは、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」だ。ただし流れるのは、バックトラックだけで肝心のヴォーカルがない。この曲に合わせてヴォーカルメロディを入れるのは、毛皮のコートをまとった鈴木亮平なのだ。
決してうまくはない歌唱は、むしろ浩輔が毛皮のコートをまとう衝動にかられた生々しい手触りを伝える。龍太に出会い、言葉にならない虚しさから解放された浩輔が歌い、踊る喜び。彼の情念は激しく躍動する。

ホモセクシャル(同性愛者)の映画と監督たちを愛した映画評論家の淀川長治がこんなことを書いている。
「ホモセクシャルを何も秘密にするほどこれは悪業であるわけもなかろう。むしろ純粋かぎりなき愛とすべきかもしれぬ」(青土社刊『男と男のいる映画』より引用)
毛皮のコートを着た鈴木亮平に感じるホモセクシャルもまさにこれだ。生々しくリアルなゲイ男性像は、確かに「純粋かぎりなき愛」の姿に違いない。
今の時代、同性愛者の恋愛が“普遍的”であり、やっと市民権を得たなどと安易な表現はさけるべきだ。そうではなくて、ひとりの人間がこれほど誰かを愛することの“純粋さ”が本作で描かれたことがただ素晴らしく、それを身をもって証明する鈴木亮平が、ただただ美しいのだ。
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<文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:
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