家重には、言語や排尿に障害があったため、とても将軍職は務まらないと思われていた。しかし、彼女の知能は正常だった。いやむしろ、非常に高い知力を備えており、そのことは将棋を指す姿からも見て取れた。

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家重は、自分の体に閉じ込められていたのである。それを小姓頭の大岡忠光(岡本玲)は理解していた。「家重さまは大層頭の切れる方におあします。けれど、ご自分の考えをうまく表す術をお持ちにならない」のだと。新しく小姓として入った龍(當真あみ、のちに田沼意次となる)は、家重の心の内を思い、どんなに辛い、歯がゆい毎日を過ごしているのだろうと涙を流した。
実際の歴史でも、徳川家重は“小便公方”と酷い揶揄を受けている。綱吉は犬公方と言われ、田沼意次は賄賂政治家と呼ばれたが、歴史は記す立場の者によって残された面しか見えない。史実の家重への評価も、障害ゆえの偏見だったのではとする向きがある。
本作の家重はさらに抜きんでた知能を持っており、自分自身へのいら立ちや、周囲の反応に、より辛さを感じていたはず。
そして最も尊敬する母・吉宗の目の前で粗相までしたことで「私など死んだほうがいいのだ。私のような役立たずにできることは、死ぬことだけだ」と苦しむ。吉宗は、これを龍から伝え聞き、家重を訪ねた。
ここからの吉宗と家重のふたりのシーンには、身じろぎできず、ただ涙があふれた。本作で幾度も描かれてきた、自分の孤独を、苦しみを理解された、受け入れられたことの喜びが描かれた。「
役立たずだから死にたいと。裏を返せば、それは生きるなら人の役に立ちたいということ。違うか」と問うた吉宗に、家重が返す。「
私にもできますか。誰かの役に立つことが」と。
それを聞いた吉宗は立ち上がり、家重の体をしっかりと抱いた。将軍を超えて、母として。
第9話の将軍は、危機に瀕した日本国の母であると同時に、苦しむ我が子の母だった。そしてその子・家重は、自らを表現する術が分からずに、自分など役立たずだと苦しみ、いっそピエロにと、好色や酒におぼれて、一層自らの殻を硬く閉じていた。そんな自分を母は「私はそなたをバカだと思うたことは一度もないぞ」と理解し、<その苦しみは、役に立ちたいからこそであり、その気持ちがあるならば、覚悟を持って生きよ>と、鍵を開けて抱擁した(もちろん、それは母に進言した家重を支える周囲の理解があってこそで、家重にはそこにも気づいてほしい)。