時代の道しるべとしてのアーティスト像との落差。あっけにとられるファンも
このように、筋の通った良識とポジティブな音楽が固く結びついていると感じるからこそ、その存在が指針なき時代の道しるべとして頼りにされてきた経緯があります。それが山下氏の望んだ役回りだったかはともかく、近年の彼の音楽は含蓄(がんちく)ある言動とセットで受容されてきた。
そうした気高いアーティスト像が出来上がった中で、ジャニー喜多川氏の性加害について山下達郎は何を語るのか。それが最大の注目点だったのです。

『Sound & Recording Magazine 2022年8月号』リットーミュージック
それゆえに落胆の度合いが大きかった。職業倫理や規範意識以前の問題である明確な人権侵害に対して、山下氏は意味のある発言をすることができませんでした。
それどころか、聴き手を切り捨てることもやぶさかではないとまで言ってしまいました。たとえば以下の発言とどうやって整合性を取ればいいのでしょうか?
<これからも僕のライブに来てくださる年間10万人ほどの方々や、自分の音楽にシンパシーを持ち続けてくれた方々の力になるにはどうすればいいかを考えながら、健康で声が出るうちは活動を続けていきたいと思います。>
(現代ビジネス『「天文台の職員」になるはずが…?山下達郎インタビュー「音楽だけは自分に嘘をつかなかった」』2022年6月22日)
あまりの豹変(ひょうへん)ぶりに、あっけにとられたファンも少なくないはずです。その意味でも山下氏のスピーチは衝撃的でした。

『オフィシャル・バンドスコア 山下達郎 / 40th Anniversary Score Book Vol.1 』ドレミ楽譜出版社
もっとも、あの7分間で山下達郎が信念に基づいて語ったことを疑うものではありません。しかし、同時に後戻りできない方向へ歩みを進めてしまったような危うさも感じました。
希望を語り、市井の人々を温かく勇気づける、あの山下達郎はもういない。
それが明確になった7月9日だったのだと思います。
<文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter:
@TakayukiIshigu4