まず思い出すのが、“盟友”大瀧詠一氏が亡くなったときの『サンデー・ソングブック』(2014年1月26日)の放送です。熱心なリスナーからの強引なリクエストを、山下氏はこう言って突っぱねたのです。
<大瀧さんが亡くなってから後はですね、番組宛に早く追悼特集をやれとかですね、追悼特集は誰も知らないレアアイテムをたくさんかけろとかですね、最低半年はやれと、そういうような類の葉書が少なからず舞い込んでまいります。(中略)
そうしたファンとかマニアとかおっしゃる人々のですね、ある意味でのそうした独善性というものを大瀧さんがもっとも忌み嫌ったものでありました。>

大滝詠一 「DEBUT AGAIN」SMR
実際、前年の暮れに亡くなった直後のツイッターでも、“紅白は全部大瀧詠一にしろ”といったコメントが多く見受けられました。
そうした好意の押し付けが、どれだけケチくさいものであるか。また、世の中には大瀧詠一氏には興味がない人が大勢いて、そういう人たちの趣味もまた尊重されなければならない。この当たり前の事実が見えなくなっている音楽フリークを厳しく正す説得力があったのです。
愛好家である以前に、一人の人間としてどのように振る舞うべきか。山下氏の発言には、一貫した視点がありました。
だから、いかにお金を払ってライブを観に来ている客だろうと、
マナーが悪ければ遠慮なく指摘した。明らかに演奏のムードにそぐわない手拍子をする客を名指しし、演奏を中断。おさまったところで、再度演奏をスタートすることもあったそう。
客にも高い規範意識を求める姿勢は、山下氏が敬愛した落語家の立川談志(1936-2011)に通じる矜持(きょうじ)だったのではないでしょうか。