俳優から狩猟生活に? その後の近況を語る記事で、ニットキャップをかぶって写っている東出さんは日に焼けて、ヘアメイクにさほど気を使わず、素肌をさらけ出しているように見えた。
『福田村事件』の倉蔵には、その姿が重なって見える。自然と共に生きる孤高の人というような役は、付け焼き刃では演じられない。いまの東出さんにはファッションアウトドアとはやや違う、自然なたくましさが備わって、プライベートの猟師生活と役をリンクさせているように見える。
東出さんの野生味を生かした役は、『福田村事件』がはじめてではない。22年公開の主演映画『とべない風船』では、瀬戸内海の島で生活している漁師を演じている。

とべない風船
これまた、自然のなかでたくましく魚を釣って生きる一匹狼的なのだが、それにはやむにやまれぬ理由があって、過去、豪雨災害で妻子を亡くし、その喪失感によって人間関係を閉ざしてしまったという設定だ。
『とべない風船』では孤独な生活がとても辛そうな役だが、『福田村事件』では孤独は辛そうでなく共存しているような役だ。この違いは、撮影時期に関係しているのではないか。
東出さんが狩猟生活をはじめたのは22年の春かららしい。どうりで、その前に撮影が済んでいる『とべない風船』よりも22年夏に撮影した『福田村事件』のほうが達観して見えるわけだ。
もちろん、そういう役だからそういうふうにみごとに演じ分けているとも言えるが。たとえば『Winny』(23年)で実在する人物を演じたときの、役に合わせて体重を増やすなど、自分ではない人物を演じようとする意欲を見せていた。なんでも演じられる器用さより、自分が出てしまう不器用な俳優であるわけでもないのである。
真相は本人にしかわからないことだが、本人の生き方と役が重なっているほうがおもしろくはある。『福田村事件』の森監督がこれまで撮ってきたドキュメンタリーは、被写体から距離をとりあるがままを撮る観察スタイルではなく、監督の狙いに被写体を追い込んでいく能動的なスタイルのものなので、倉蔵には森監督の東出像が出ているのかもしれない。
森監督が、東出さんが集団の目に晒(さら)されてきたことを知らないわけはないだろう。好感度という集団の好意に支えられてきた東出さんが、突如としてネットを中心にした批判に晒された経験は、彼の演じた倉蔵に託された、集団から距離をとって起きていることを見る役割にはふさわしい。