『まつもtoなかい』で那須川天心のミット打ちを見る横浜の目が
横浜の場合、6歳から極真空手をやっていた経験が、“らしく”見える演技を助けている。中学生の時に第7回国際青少年空手道選手権大会の13、14歳男子55キロの部で優勝しているほどの腕の持ち主。だからこそ、『春に散る』では、映像のマジックでごまかさないものにしたいと希望して取り組んだそうで、その心意気や、よしである。
さらに、『君の瞳が問いかけている』(20年)で、元キックボクサーの役を演じるにあたって、撮影前に1カ月間、キックボクシングのトレーニングを行い、肉体改造で筋肉を10キロ増量した経験もある。

ボクサーの那須川天心とは、彼が空手を習っていたときからの友達で、トーク番組『まつもtoなかい』(フジテレビ系)に一緒に出て、ミット打ちをして「いいね」と那須川に褒められていた。
そのときの横浜の、那須川とトレーナー粟生隆寛のミット打ちを見る目の色が違っていたことや、試合は(本職の人たち)をリスペクトしてるからできない。やりたくなったら俳優を辞めると言っていた真面目さも印象的だった。
『春に散る』の撮影終了後、横浜は、日本ボクシングコミッション(JBC)のC級(4回戦)プロテストを受けて合格している。映画が終わっても、取り組みをやめないとは作品や役に対しての並々ならぬ意欲を感じるではないか。そして、それだけ徹底的に鍛えたこともわかる。
でもそれが、そのまんま生かされるかというとそういうわけではなく、プレスシートのプロダクションノートによると「空手のパンチを、力を抜いてスピードにのせて打つコンビネーションパンチに変えていった。当然ながら蹴りは封印されるため、間合いの距離や重心の位置も変わる」そうで、これまでやってきたこととは違う技能を求められていたのだ。
先述の『まつもtoなかい』で空手ではキックが得意だったとも語っていて、得意な技を封印されていたのである。

それでも横浜流星の首から肩にかけてのたくましさには圧倒的だ。燃えるエネルギーがその肩のなかに詰まって見える。それが本物であることは、宮本武蔵を演じた主演舞台『巌流島』(23年)で、武術としての空手の身体性は剣の殺陣とは違い上半身が前かがみになってしまうクセを殺陣師の諸鍛冶裕太に修正されていたことが証明するだろう。
“見せる”殺陣とは違う、実戦の動きと身体を横浜は持っていて、舞台ではネックとなり、『春に散る』ではそれが生きたのだ。