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懸賞生活を耐え抜いたなすび「『電波少年』の辛い経験があったから…」エベレストに挑み続け4回目で登頂成功、売名と叩かれても

バラエティ番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)の企画「電波少年的懸賞生活」で凄まじいインパクトを残し、一世を風靡(ふうび)したタレントのなすびさん。
なすびさんの半生を追ったドキュメンタリー映画がプレミア上映された(画像:トロント国際映画祭tiff 公式サイトより)

なすびさんの半生を追ったドキュメンタリー映画がプレミア上映された(画像:トロント国際映画祭tiff 公式サイトより)

彼の懸賞生活から現在までの軌跡を追ったイギリス製作のドキュメンタリー映画『ザ・コンテスタント(原題) / The Contestant』が、現地時間の9月8日に第48回トロント国際映画祭でワールドプレミア上映されました。 再び日本のみならず、世界中から注目を集めることとなったなすびさん。彼はこれまでの人生に何を思うのか。後編では福島の復興支援活動について、さらにこれからの目標について語ってもらいました。 【インタビュー前編】⇒「『電波少年』懸賞生活は一種の洗脳。自殺も考えるほど苦悩」なすび激白、イギリスで半生が映画化の今とは

震災復興の祈りを込めエベレストに挑み続け4回目で登頂成功

なすびさん

なすびさん

――現在のなすびさんは出身地である「福島県の復興支援」の印象も強まっているように思います。 「復興支援活動は2011年の東日本大震災をきっかけに、故郷である福島を応援したいという想いからスタートしました」 ――今は福島のテレビやラジオ番組にもレギュラーを持っていますよね。 「福島のことって、もはや僕にとってはライフワークなんですよ。番組は確かに仕事なんですけど、常に福島のことを考えている自負はあります。 2011年の震災当時、僕は寄付をするとか大きなことができなかったことが無力で情けなくて……。でも今はボランティアって、やってることの大きい小さいは関係なくて、行動さえすれば笑顔になってくれる人がいるんだって実感しています」 ――2013年から4度に渡って行ったエベレスト登頂への挑戦も、復興支援の一環だったそうですね。 「はい。東北への応援の一つのカタチですね。震災復興の祈りを込めて登り続けて、2016年にようやく登頂に成功しました。でも、あれはもとを正すと『風評被害のあった福島の現在を知って欲しい』という情報支援から始まったことなんです。 2011年8月に僕が復興支援をしていることを知った香川の方から、自分たちも応援したいという連絡があり『四国でお遍路をしてみませんか?』という話がきたんです。祈りの旅をして四国を周ることで、地元の方々に福島の今を伝えることができるのではないか、と」

初心者でエベレスト登頂は命懸け「売名」とさんざん言われても

――四国八十八ヶ所の巡礼ですね。なかなか大変な旅だったのでは? 「僕はそこまでの長距離を歩いた経験はなかったのですが、車を時おり使いながらも全箇所を周ることができました。 その時に普通の人なら5~6時間はかかるようなルートを2~3時間で歩けちゃったんですよね。それで『これだけ歩けるなら、山登りとか向いてるんじゃないの?』と言われたことがエベレスト登頂のきっかけなんです」 なすび――山登りも初心者だったのですか? 「はい。どうせ山登りで目指すなら、やっぱり世界最高峰のエベレスト。しかも未経験者が登りきることができたら、福島の人たちも『新しいことにも挑戦してみよう』と思えるのではないかと考えたんです。 初心者がエベレストに登るなんて、はっきり言って命懸けの所業なんですよ。でも、綺麗事(きれいごと)かもしれませんが、僕は命懸けでも福島を応援したかったんですよ。僕にとって守りたいものは自分の命よりも故郷だったってこと。色んな想いがあって、エベレストに結びついたわけです」 ―― 一部の人たちからは、売名行為や便乗商法なんて揶揄(やゆ)されたこともあったようですね。 「散々言われましたね。応援する=エベレスト登頂ってこと自体も荒唐無稽(こうとうむけい)だと言われましたけど、なぜそう考えたのかもひと言では説明できない部分もあって。 それでも、登頂には3回失敗して、4度目の挑戦でようやく成功することができました」
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地震で雪崩におそわれて…
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