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「ユーチューバーに憧れる息子」に父親が抱く嫌悪感の正体。49歳俳優が演じる普通の人とは

嫌悪感を怒りで表出させてしまった悲しさ

©2021 朝井リョウ/新潮社  ©2023「正欲」製作委員会 稲垣吾郎は、その「口には出さなくても普通ではないことを嫌悪している」印象を、見事に観客に植え付けることに成功している。  稲垣吾郎その人がキリッとした顔つきであり、そこに自分の「正しさ」を信じきっているような、一種の「ブレなさ」を感じさせるからこそ、カリスマ性があると共に少し怖い印象もある。  本作ではそこに「ほんの少しだけ垣間見える嫌悪感」の演技が加わる上、ある場面でついに抑えきれなかった怒りを表出させる。そこで、「普通であるはず」の彼のことが、良い意味で泣きたくなるほどに恐ろしく思えた。  一方で、彼はとても親切かつ穏やかな姿を見せる場面もある。だからこそ、とても共感できる普通の価値観を持っていたはずなのに、嫌悪感を怒りの感情として表出させてしまった彼の悲しさ、その彼に対して恐怖を覚えてしまったという切なさを、より思い知らされたのだ。  その怒りの感情は、ほとんど狂気と言い換えてもいいレベルでもあった。稲垣吾郎は『十三人の刺客』で狂気にどっぷりと浸かった暴君になったこともあったが、一方で『窓辺にて』では「ショックを受けなかったことにショックを受けている」ある意味では常識的な人間を演じていたこともある。  今回の『正欲』で演じるのは後者に近い一方、前者も少しだけ連想する「普通の人が表出させてしまう狂気」を見せる。そんな複雑な役を、稲垣吾郎は見事に体現していたのだ。 【関連記事】⇒「悩む稲垣吾郎」がすばらしい。私たちを静かに肯定してくれる映画『窓辺にて』を読み解く

「多様性という言葉からもこぼれ落ちた人たち」からの宿題

©2021 朝井リョウ/新潮社  ©2023「正欲」製作委員会 岸善幸監督は稲垣吾郎に初めて会った時に、「啓喜はいわゆる大多数側の人です。もしかしたら、マジョリティーとして観客にいちばん近い感性かも知れません」「観客は、啓喜の感覚で観はじめるかもしれないけど、そのうち啓喜のほうがおかしいんじゃないかと見えてくる作品にしたいです」と話していたという(プレス向け資料のインタビューより)。  前述した稲垣吾郎の演技から、まさにこの言葉通りの感覚を得られるだろう。そして、普通を至善とする稲垣吾郎と、彼以外の「普通ではない」ことを自覚しているキャラクターそれぞれの物語から、「普通っていったいなんなんだろう」と疑問を抱かせてくることがこの映画でもっとも重要だった。  例えば、表向きは平凡な会社員に見える磯村勇斗は、冒頭のモノローグで「世界は明日死にたくない人を前提にして動いている」という、およそ普通ではない理論を語るので、ギョッとしてしまう人が多いだろう。  しかも、彼はその理論が他の人には理解し得ない、自身が「大多数から認められる『多様性』という言葉の範疇からもこぼれ落ちている」ことを自覚している。
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マジョリティー側にいる稲垣吾郎に心揺さぶられる
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