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口コミ効果で興行収入うなぎ登り!“実写化”ではなく“映画化”を目指した要素に原作ファンも納得|映画『カラオケ行こ!』

曖昧なままの関係性が愛おしい

『カラオケ行こ!』(ビームコミックス)

『カラオケ行こ!』(ビームコミックス)

狂児と聡実の関係性にフォーカスした原作に対し、本作は合唱部や家庭の描写を織り交ぜながら“青春群像劇”という形で物語が展開される。そしてその構成によって、より二人の異質な関係性が際立つのがいい。彼らの繋がりを“エモい”と感じるのは、確かに親密に結ばれているのに、その関係性がはっきりと示されていないところにある。少しの余白があるからこそ、観た者が言葉に表せない尊さを感じる。 そんな知り合いでも友達でも親子でも、はたまた恋人でもない二人の特別な絆を、本作でもしっかりと感じ取ることができる。 少し毒舌家であるものの、内では日に日に出せなくなっていくソプラノの声に悩む聡実。少年期の終わりの繊細な心の機微を丁寧に演じきった齋藤は、撮影当時“岡聡実”と近しい年齢。あの瞬間にしか生み出せなかったであろうみずみずしい演技や真っ直ぐな歌声には、心を打たれずにはいられない。狂児の飄々とした余裕感を出しながらも、聡実(齋藤)を見守るかのように半歩引いて魅せた綾野の演技と距離感もたまらなく絶妙で、彼らはまさに聡実と狂児そのものだった。

短い期間を切り取った青春物語

※以下、本編の内容を含んでいます。 “映画化”として、物語を再構築してきた本作。『カラオケ行こ!』は、聡実の、あるいは狂児のとても短い期間を切り取った美しい青春映画だった。 狂児の「綺麗なもんしかあかんかったら、この町ごと全滅や」というセリフが、この映画のすべてを表しているように思う。何回目かのカラオケレッスンで、聡実は狂児の音域に合って無理せず歌える曲を探して渡す。しかし、狂児が最終的に選ぶのは、いつも聡実に酷評されていたX JAPANの「紅」だったのだ。歌が上手い/下手以外にも“らしさ”や“愛”といった異なる表現があるように、人生もまた、綺麗でなくともそれぞれのカタチがあると気づかされる作品なのである。 俳優陣の原作に対する尊敬と理解を感じる演技、原作の世界観を汲んだ完璧な脚本等が、『カラオケ行こ!』を一段と味わい深いものにする。映画を観た後の拝読、そしては拝読後の鑑賞は、より一層豊かなものになるはずだ。 <文/西本沙織>
西本沙織
ライター。マンガやドラマを中心に、エンタメ分野のレビューやコラムの執筆を行う。 Twitter:@nishisaowriter
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