Entertainment
Love

子どもができたのに籍を入れないのは無責任?芸能人カップルの発表にケチをつける人たちが間違っているワケ

責任がない理由にはならない

 できちゃった結婚を略した「でき婚」が流行語となって久しい。竹野内豊と広末涼子によるトレンディなドラマ『できちゃった結婚』(フジテレビ)が放送されたのが、2001年。できちゃった結婚した夫婦の離婚率の高さなど、マイナスイメージが未だに尾を引いている。  こうした流行からすでに25年以上が経過している。元号も改元されている。時代の進み方が特に加速度的な現代、さすがにそんな昔の価値観を尺度に物を言われても困ってしまう。  この際、現代人なりにバージョンアップされた価値観を持たなければ。「新しい家族の形」などというもっともらしい形容も胡散臭い。  その意味でも宮沢と黒島の発表は、改めるきっかけとなるのではないか。別に婚姻とか入籍という形式に縛られないからといって、責任がない理由にはならない。文面にある通り、確かなパートナーとして、責任のベクトルがお互いに向いているのだから、まったく問題はないはず。

誠実な態度と嘘のなさ

 つまり、宮沢は責任がある人だと筆者は言いたいのだが、その人格は俳優であることとほとんどイコールになっている。  映画でもドラマでも、カメラの前で俳優は嘘がつけない。いや演技というものはフィクション(ドラマ)の中の嘘ではあるのだが、演技の良し悪しはすべて俳優の誠実な態度にかかっている。  ドラマ作品なら、『さよならマエストロ』だけでなく、ムロツヨシ主演の『ドラフトキング』(WOWOW)の宮沢はまさに嘘のない演技だった。そしてこの嘘のなさを裏付けているのが、特徴的な琥珀色の瞳。  それは元THE BOOMのヴォーカルだった父・宮沢和史譲りの色。その輝きが、誰の目にも明らかなまばゆさで、はっきりと責任の証明にさえなっていると思うのだ。  あらゆる出演作品のあらゆる瞬間で、宮沢が提示してくる切実な演技は、婚姻届を提出することよりもよっぽど真実味がある。あの琥珀色の瞳を覗き込めば、これだけは疑いの余地がない。 <文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu
1
2
Cxense Recommend widget
あなたにおすすめ