
2024年2月8日に展示公式サイトで公開された声明文「『大吉原展』につきまして」
――公式サイトでは2024年2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という声明文が発表されました。また、同日より展示の「みどころ」を紹介するページが閲覧できない状態になっています。
渡辺:そうですね。本来なら、吉原が文化の発信地であったという主張への指摘があったら、「いや、私たちはこういう理由で主張したいんです」って立ち位置や意図の説明をすべきなのに、内容を引っ込めてしまった。そこに、展示に対するポリシーのなさが透けて見えているように思います。
――公式サイトでは、「約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心地でもあった」とありますが、渡辺さんは吉原に文化が集まった理由をどう考えていますか?
渡辺:私は近世史への興味はそこまで強くないので、先行研究の受け売りにはなってしまいますが、やはりお金が集まったからということに尽きるのではないでしょうか。当時“江戸で1日1000両落ちるのは、河岸と吉原と歌舞伎”と謳われたように、吉原に経済的な賑わいがあったのは事実だと思うんです。
お金の集まるところに文化的なものが芽生えてくるのは、現代でも同じですよね。それで例えば、遊女が浮世絵で描かれたりとか、落語や浄瑠璃、歌舞伎の演目になったりとかして。遊郭や遊女のモチーフが日本の芸術や文化に大きな影響を与えてきたのは事実ではあると思います。
また、吉原の中の業者たちが自分たちの格式にこだわったことは間違いないと思います。ただそれは宣伝広告的な意味合いで、彼ら自身が文化の担い手という意識をどこまで持っていたかには、私は懐疑的です。
というのも、江戸時代の吉原も時期によっては8割以上は低級なお店だったから。“高級店だけが並び、政財界の人たちだけが集まって文化サロンを形成した”というイメージは実際とは違うと思います。しかも、江戸末期の吉原は客離れが起きていて、遊女の大安売りのチラシを配っていました。なので、江戸末期には格式とは全く別の方向に振っていたわけです。
「過去の良い面だけ見て何が悪いの?」との意見について

大吉原展公式サイト「みどころ」ページの一部(現在は閲覧できない状態になっている)
――一般的には、遊郭=江戸時代というイメージが強いように思いますが、明治時代以降も続いてはいたのですよね?
渡辺:はい。看板を掛け替えながら、女性が性を切り売りする場所としてはずっと残ってきました。吉原遊郭自体は戦後、1958年に罰則規定を含む売春防止法が施行されて無くなりましたが、現在もソープランドなどが並んでいます。
――吉原があった歴史は、現在もその地域に影響を与えているわけですよね。
渡辺:大吉原展擁護派の意見には「過去は過去、今は今じゃないか。過去の良い面だけ見て何が悪いの?」といった内容があります。しかし、吉原をはじめとした江戸時代の遊郭や性産業の流れが現代にも影響を与えているからこそ、地続きとして考えられるような見せ方をすべきだと思うんですよね。
また、今回の展示は藝大が主催することで、なんというか……内容に“お墨付き”を与えたような見え方になる危うさがあると思っています。だからこそ、発信する側は見せ方に責任を持って欲しい。そして、もう一方で、見る側も権威性に流されすぎずに見て欲しいと思います。
――何事も内容を鵜呑みにし過ぎず、自分でも確認しようとすることが大切ですね。