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「お笑いは習い事の感覚に近かった」まえだまえだ弟・前田旺志郎が俳優の道を志したきっかけを語る

是枝裕和監督作品では「究極の芝居の境地にいた」

前田旺志郎――過去作についても教えてください。やはり小学3年生のときの初主演映画『奇跡』(2010年)について聞かなくては思います。同作の現場は学びが多かったですか? 前田:『奇跡』の現場では、自分は役者という認識がそこまであったわけではありません。初主演作とはいえ、台本もありませんでした。 ――台本が用意されていないのは、是枝裕和監督特有の演出ですね。 前田:毎日、どこでどういう撮影をするのか、現場に行くまで明かされませんでした。一つの役として繋がっているのか。それは是枝監督の頭の中だけで描かれていることで、シーンごとの監督からの演出に対して僕はその場で感じた瞬発力で演じました。 今現在の感覚だと、最終的にどういう作品になるのかわからないというスリリングな演技体験でしたが、究極の形だったと思うんです。 ――というと? 前田:あの時の自分は、究極の芝居の境地にいた感覚があります。演じるというよりも、役としてフラットにその場に存在していた。それが原体験にあり、その後さまざまな現場で経験して積まれていくものもあれば、逆に経験して失われていくものもたくさんありました。 上手くなるって大切なことではありますが、芝居の良い悪いと、上手い下手は別軸にあります。どれだけセリフが棒読みでも良い芝居をすれば、それは大正解。一方で、上手いは技術に偏った感想だと思うので、「うわぁ良いな」と思われる役者になっていきたいです。 それにはやっぱり当時のあの感覚は大切で、常に僕の指針であり、目指すべきところです。原体験に近づいていかなければという気持ちが強いです。 ――その後、同じく是枝監督の『海街diary』(2015年)にも出演していています。同作は中学生のときでした。『奇跡』が原体験。同じ監督の元で、多感な時期に年齢を重ねるのは面白い経験ですね。 前田:是枝監督の作品にまた出られたことがすごく嬉しかったです。『海街diary』のときは、多少なりとも他の現場でもちょこちょこ経験していましたが、やはりその場で言われたことに対して瞬発力を働かせようという感覚に戻った感じでした。

「間違ってなかった」と感じた分岐点

前田旺志郎――『海街diary』を見返してみると、浜口とのちょっとした共通点がありました。どちらも初登場場面で、画面の下手からパッと出てきて、すぐにフレームアウトするんです。 前田:なるほど! ――芸歴が長いからこそ、作品ごとの共通点が見つかるんですが、自分は俳優だなと思ったのはどのあたりからですか? 前田:高校受験がきっかけです。僕は中学まで大阪にいました。中学2年か3年に上がるタイミングで、両親からこの先どうするのか聞かれ、芸能を続けていくなら、もうそろそろ上京すべきではないのかと。 それまでは単に楽しいくらいの感覚でした。仕事だからとか、この先ずっとやっていく感覚はありませんでした。でもそのときに初めて自分の人生を大きく決める選択を突きつけられて、すごく迷いました。今でも毎年、年越しは大阪に帰って友達の家族と過ごすくらい、僕は地元が大好きです。彼らと離れるのが寂しくて、大阪を出るというのは大きな決断でした。 でも、何かわからないけど、俳優というのはすごく楽しい気がする。「ここで辞めるのはもったいないかも」と思って、東京に出て続ける旨を両親に伝えて、上京しました。そこから作品に対する向き合い方が変わりました。自分で選んだ道という、今までとは違う新しいところからスタートして、しかもそれが仕事だという感覚が強くなりました。 高校に入ってから役について考える時間は格段に増えましたし、考えれば考えるとほど、現場に行った時がさらに楽しくなりました。「うわぁ、やっぱり間違ってなかった」と感じた分岐点でした。 ――大学は総合政策学部。美大や芸大は考えなかったんですか? 前田:高校を卒業して芸術系の大学に行くのか、あるいは仕事一本にするのかとなったとき、いろんなものを見たいという好奇心が勝りました。総合政策学部はあまり専門性がなく、個人個人がみんなやりたい研究をやるという学部です。 いろんな職業、価値観、世界に触れて、もっと視野を広げて、その上で俳優を楽しいと思いたかったんです。 ――早稲田大学の是枝ゼミでも面白そうでしたね。 前田:確かにそうですね(笑)。
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芸能生活20年の節目
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