
5歳でデビュー、20代半ばで映画界最高のギャラをとっていた高峰秀子は、世間からは順風満帆な大スターと思われていましたが、実情は、ギャラはすべて養母と十数人の親族に搾取され、学ぶ機会も奪われ、好きになれない女優業を黙々と続けざるを得なかった孤独な女性でした。その大スターに名もなく貧しい一人の助監督が交際を申し込み……
――まさに大スターと、シンデレラ・ボーイですね。
斎藤:収入以外の項目について2人の比較は、拙著『ふたり~救われた女と救った男』に掲載した比較表をご覧ください。
――はい。比較表、すごく興味深いです。ところで結婚当初、大変な格差があったことは分かりました。その後の格差婚の結末はどうだったのでしょうか? 高峰さんは幸せになったのでしょうか。
斎藤:さて、どうなったか? それは「ふたり」を読んでください。
――ありがとうございます。このお話を踏まえて、ページをめくるのが楽しみです。最後に「ふたり」を近くで見てきた斎藤さんが、いまひとつだけ伝えたいことがあるとしたら?
斎藤:愛情とは瞬発的なものではなく、持続できるかどうかにその真価がある。そして愛情とは理解と尊敬だと思います。
――本日は貴重なお話をありがとうございます。なんだか元気をいただきました。

斎藤 明美(さいとう・あけみ)
【斎藤 明美(さいとう・あけみ)】
文筆家。本名:松山明美。1956年土佐市生まれ。津田塾大学卒業。高校教師、テレビ構成作家を経て、『週刊文春』の記者を20年務めてフリーに。2009年、10年余り親交のあった松山・高峰夫妻の養女となる。小説『青々と』で日本海外文学大賞奨励賞受賞。著書に『高峰秀子の捨てられない荷物』『最後の日本人』『高峰秀子の流儀』『高峰秀子との20年』『高峰秀子の言葉』など
<取材/八幡眞梨子>