“生みの親”が明かすピコ太郎の現在。小児がん支援で「彼を最後の最後まで絞り切ってやろうと」
「PPAP」で世界的な人気となった「ピコ太郎」のプロデューサー・古坂大魔王さん(51歳)。2018年から小児がん治療をサポートするチャリティなどの活動に取り組み、2024年からは病院を訪問する「LIVE EMPOWER CHILDREN 2025 LIVE TOUR IN HOSPITAL」にも参加しています。
2月15日の「国際小児がんデー(International Childhood Cancer Day)」に合わせ、古坂さんが支援活動を始めたきっかけとなった少女との出会いや、2024年11月に病院を訪れた際の思いなどを聞きました。
――古坂さんが、小児がん治療のチャリティ活動を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
古坂大魔王さん(以下、古坂):いくつかのきっかけがあるのですが、あいりちゃんという3歳の女の子との出会いが一番大きかったです。2018年の4月に、子どもの患者さんを支援する団体を通して、「小児がんの患者さんが、ピコ太郎さんのファンだから会ってもらえないですか」と連絡をもらってお会いすることになりました。
初めて会ったとき、あいりちゃんは年齢より小さく見えました。抗がん剤のために髪の毛が抜けていたのでツルツル頭で、お母さんがピコ太郎のようなサングラスやカツラ、衣装をあいりちゃんに用意してくれていました。ピコ太郎を見ると、飛び上がって喜んでくれましたね。まだ小さいから歌詞もあいまいなのにピコ太郎の曲を次々に歌ったり、部屋中飛び跳ねるようにして踊ってくれました。
仲良く遊んだあと、あいりちゃんのママの依頼があったので、翌日からの治療についてピコ太郎から伝えました。「もうすぐ手術があるね、体の中の悪いヤツをやっつけようね、頑張ってね」と言うと、あいりちゃんの表情が一変してしまったんです。検査や治療がつらいとわかっているんですね。とくに抗がん剤治療は子どもにとって物凄く苦しいものだと聞きます。ピコ太郎は打ちひしがれそうになりながらも、「また会いにくるからね」と言って別れました。
――あいりちゃんに会って、印象に残っていることはありますか?
古坂:あいりちゃんの遊びがすべてお医者さんごっこだったことです。めったに病院から出られないので、おままごとやお買い物ごっこがわからない。お薬を飲んだり、検査や注射をすることしか知らないから、それを遊びにしていましたね。
それから何度かお手紙をいただいたり、動画を送ったりしたのですが、あいりちゃんには会えなくなっていて、同じ年の9月に、スペインでライブをしていたときにあいりちゃんが亡くなったことを知りました。呆然とする中、翌日サイン会があってたくさんの子どもたちが来てくれました。すると、1人目に来てくれたスペイン人の女の子の名前が「AIRI(あいり)」だったんです。スペインではとても珍しい名前だそうで、運命的なものを感じて、「これは何かやらないといけない」と思いました。
そして同じ年に僕の所属するエイベックスの社員だった保屋松靖人さんが、小児がんの子どもたちを支援する一般社団法人「Empower Children(エンパワー・チルドレン)」を立ち上げたことも重なり、活動に参加させてもらうようになりました。
あいりちゃんとの出会いが「小児がん」を考えるきっかけに
遊びはすべて「お医者さんごっこ」

1
2