他にも、小人症の俳優のピーター・ディンクレイジは「洞窟で共同生活をする7人のドワーフたちの話は時代に逆行している」と述べ、アニメのデヴィッド・ハンド監督の息子デヴィッド・ヘイル・ハンドは「実写はアニメとまったく異なるコンセプトで賛成できない」などと批判した。
さらには、パレスチナ解放とガザ停戦を求めるレイチェル・ゼグラーと、シオニスト(ユダヤ民族が祖先の地パレスチナに国家を建設しようという運動である「シオニズム」を支持する人)であるガル・ガドットという正反対の立場の俳優が出演していることもあって、その両サイドの支持者から攻撃されている。
レイチェル・ゼグラーは2021年の『ウエスト・サイド・ストーリー』のときにも共演者のスキャンダルに見舞われたこともあり、ここまでのバッシングはさすがにかわいそうにも思うのだが、やはり主演俳優という立場からの、アニメおよびそのファン、さらには個々人の政治的なスタンスを侮辱するような発言への批判は当然だ。キャラクターと異なる設定やイメージの人種の俳優をキャスティングすることの是非も、引き続き議論は必要だろう。
こうした結果を受けてか、ハリウッドでのレッドカーペットは規模を縮小してメディアも制限された。ディズニーの実写映画が物議を醸すことは今までにもあったが、その中でももっとも炎上してしまった。それらのネガティブな印象は、本編の評価にも少なからず影響してしまっているだろう。
※以下からは、実写版『白雪姫』本編の一部内容に触れています。
映画の外にネガティブな話題があることを前提として、本編とはなるべく分けて論じたいという気持ちもある。その上で、「原作のアニメを観ているけどさほど思い入れがない身としては」という枕詞はつくものの、素直に楽しめたというのが本音だ。
特に「アニメで描かれた世界と物語が実写ではこうなるのか」という、表現方法の違いによる魅力は大きい。暗い森を抜けた先での明るくカラフルで美しい画や、愛らしい動物たち、(少し「不気味の谷」に足を踏み入れているものの)7人のこびとたちの振る舞いも楽しい。
よく知られた「ハイ・ホー」のミュージカルシーンだけでも観る価値はあるし、森での楽しい光景と無機質な王女の衣装や部屋との対比や、その王女による新しいナンバーも印象に残る。CGが浮いている、作り物感があるという厳しい意見もあるものの、それでもビジュアルと音楽面での面白さは確実にある。新しい「おとぼけ」のエピソードも良かった。
白雪姫の性格と行動が変わっていることに賛否はあるが、個人的には白雪姫という存在が担う「役割」については「芯を外さず」に上手いアレンジがされていると思えた。
その役割とは「人々の間を取り持ち結束させる」ことである。アニメでの白雪姫がその純粋無垢さにより愛され、人々の関係が良き関係へと向かったように、実写での白雪姫もまた能動的な行動により人々の意識を変えていった。物語の方向性は大きくはズレていない。こういった資質を感じさせる新しい白雪姫に、レイチェル・ゼグラーはとてもマッチしていた。
クライマックスには後述する問題もあるし、少し説教くさい気もしなくはないが、メッセージは分断と断絶が大きな問題となる今の世界において、とても重要なものだった。7人のこびとたちと、新たな「山賊たち」という集団の立場が被っているという意見も見かけたが、こちらも違う集団の間を取り持つ白雪姫の役割を思えば、なかなか理にかなった設定だと思えたのだ。