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田中圭と永野芽郁も…?不倫カップルはなぜ「恥ずかしい証拠」を残したくなるのか。快楽物質にまみれた幸せ脳がもたらす結末

不倫の恋は「恋」としての密度が高く、恋は無条件に楽しい

 そして人は「ふたりだけの秘密」が好きだ。不倫は、すでにふたりだけの共犯関係である。世間を欺き、社会性という「正しいもの」に背を向けて背徳感に酔う。禁断の蜜は甘い。何重にもロックをかけたアプリでのメッセージの熱いやりとり、「相手をこれほど好きな自分」にも酔うことができる。  既婚者は、家族への罪悪感がさらに恋を燃え上がらせ、片方が独身の場合は「好きになった人に家庭があって苦しいけれど、この苦しさも恋する証拠」と納得しながら恋愛道をまっすぐに走っていける。  結婚と恋は異なる。結婚は社会的であり、恋はもともと独善的なものなのだ。だからこそ、不倫の恋は「恋」として密度が高い。誰かを裏切ろうと思っているわけではない、好きになったから一直線なだけなのだ。  なぜなら、恋は無条件に楽しいから。アドレナリンもオキシトシンも出まくって、脳内は快楽物質にまみれていく。かつて「恋のワクワク感は何ものにも代えがたい」と言った中年男性がいた。「何を見ても色がきれいなんだよね」とニヤついた男性もいる。恋の力は、生きるエネルギー源となりうるのだ。若干の障がいがあればなおのこと、エネルギーは高まるばかり。

「理想の恋」に突っ走った先に待っている「現実」

 だがその結果、バレたときは周りに委ねるしかなくなる。不倫の恋は社会性がないので、社会からは受けいれてもらえない。既婚者の場合はパートナーの決断ひとつとなるし、独身者も周囲からの誹りは免れない。それが「理想の恋」に突っ走ったあげくの「現実」である。だが、そこで終わりにならないのが人生の興味深いところだ。  さまざまな選択と決断の果て、ふたりの関係が継続することもあれば、しばらくたって再会することもあるだろう。恋愛関係は終わっても人間関係は続くこともありうる。いずれにしても当事者の人生が、正直に行動した結果ゆえの「恋」のために周りから潰されることのない世の中であってほしい。 <文/亀山早苗>
亀山早苗
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio
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