
――渋川さんご自身の話も伺わせてください。今回の主演映画のように、俳優としてご活躍されていますが、モデル時代からのファンも多いですよね。アメリカの写真家ナン・ゴールディンさんに声をかけられたことがきっかけでスタートし、その後『MEN’S NON-NO』や『smart』といった雑誌に登場して人気を得ました。当時はどのような気持ちで仕事に臨んでいたのでしょうか。
渋川:仕事という感覚ではなかったんですよ。現場にポンと行って1日だけ撮影して帰ってくる。それが毎日続くわけでもない。
それに、当時はモデルの過渡期だったのか、それまでの、いわゆる身長が190cm近くあってスタイルが良く、爽やかな印象で洋服を魅せるモデルから、モデルも自然な感じでというのが増えていった時代だったのかなと。俺がやっていることと、時代の感じが合ったのかなとは思います。
――同じ事務所の村上淳さんや、同年代の井浦新さんも同じ時期にモデルをされていて、お芝居中心になっていかれました。
渋川:そうですね。新くんは同じ歳ですしね。

――渋川さんはKEEから渋川清彦へ、井浦新さんはARATAから井浦新へと改名されたという共通点がありますね。タイプは違いますけれど、存在を意識することはありますか?
渋川:昔はちょっとあったかもしれないですけど、今は全くないですね。同年代といえば、伊勢谷友介とか、モデル出身ではないけれど俳優としては加瀬亮くんとかね。
ただ、新くんとか伊勢谷とかは、いわゆるスターっぽい感じだったんですよ。モデルの中でも、オレと、あと大柴裕介ってのがいるんですけど、その辺は違うイメージの部門って感じの印象だったかな。
――数年前に雑誌『SENSE』で大柴さんと出られてましたね。YouTubeにも上がっているのを拝見しましたが、渋川さんも大柴さんもとてもかっこよかったです。ちなみに新さんとは、『菊とギロチン』などで共演もされていますが、たとえば同志という感じなのでしょうか。
渋川:別に同志という感じではないかな。

――俳優仲間?
渋川:そうですね。ライバルというわけでもないから。改名だと瑛太もそうだっけ。年齢はちょっと下だけど。
――瑛太さんはモデル時代がEITAでそこから瑛太、現在は本名の永山瑛太名義ですね。
渋川:俺が改名したのは30歳だったかな。本名じゃないけどね。
――渋川さんの「渋川」は、出身地の群馬県渋川市からですよね。本名だと思っている人も多そうですが。
渋川:そうですか。