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国民的人気ドラマに12年間出演した“天才子役”の今。本人がつづる当時の苦労「ぶっちゃけ無茶だった」

出演2話目で渡鬼の洗礼を受ける

台本に印刷された名前

台本に印刷された名前

 最初の登場シーンは第4シリーズ38話、 ラストワンシーンだけ。今でもはっきり覚えています。ラーメン屋さん「幸楽」のドアを開け、自分の離婚した父親を探しに来る、それだけの出番でした。  初めてリハーサルと本読みに参加した時は泉ピン子さんや角野卓造さんたち、『おしん』で共演していた方もいらしたのに恥ずかしくて顔が上げられませんでした。初々しい。  なんとか終わった初本読み。その後、39話の台本を受け取りました。台本は1話ごとに色が違っていて、並べるとカラフルで楽しかったものです。最初にもらったのはぶどう色で、次が水色の表紙。これは明確に覚えています。  台本のはじめには「香盤表」という一覧表がありまして、自分の役が出演しているシーンに丸がついています。私の役、野々下加津ちゃん(現世で本名以上に呼ばれたであろう名)はどれくらい出ているのかしらと確認してみると、 〇〇〇〇〇〇〇〇……  伏字じゃありません。ほぼ全部に丸がついていたんです。  そして内容を確認してみれば、「加津」、めちゃくちゃ喋っている。セリフ、なっがい。嘘でしょ? 最初のシーンでは「すみません、こちらに野々下長太おりますか」くらいしか喋ってなかったじゃないの。  照れている場合じゃない。なりふり構っていられない、必死に食らいつかなきゃえらいことになる。登場2話目にして、小学生ながら理解しました。

リハーサルまでにセリフを全部入れる日々

「渡鬼」舞台版の写真

実はこれは「渡鬼」舞台版の写真

 何が大変って、ドラマって本番までに覚えて、本番でちゃんとやれれば結果はOKでしょう? でも、渡鬼の場合、収録日の前にTBSで行われるリハーサルの時にはすでにセリフを覚えて、芝居を完成させておかなければならなかったんですね。  たまに、時折、しょっちゅう、め~~ちゃ長いセリフのシーンが怒涛に続いていて、それを1日でまとめて収録する週なんて事態も起きるわけです。  ぺーペーの私の脳みそのキャパシティーなんて誰も気にしちゃくれません。お忙しい方は山ほどいらっしゃいましたし、ほぼ最年少の私。脳みそが若いんだから全員分のセリフ覚えて来てねくらいのノリだったような。  収録日が終わって、次のリハまで4日。私はほかの日に収録に行くことも割とあったので、実質3日程度で覚えなくてはいけなかった。無茶だと思いますよね。ぶっちゃけ無茶だったと思います。  でも、やっていたんです。無理! ですが……今回に限り! みたいな感じで12年。多分、「天才子役」などと畏れ多くも呼んでいただくようになったのは、そんなサイクルをひたすらやった結果だと思うんですけれども。  当時はそれが普通だと思っていましたし(暑い地域で生まれた人間はそこが暑いとは知らずに育つ)、スマホもタブレットもYouTubeもなかった時代、そんな呼び名がついたことも、お茶の間にお邪魔していることもあまり実感しておらず。基本、事態をわかってなさすぎる。  でも、町で声をかけていただいたり、取材を受けて自分が誌面に載ったりするのを見て、嬉しかったことは覚えています。  ただし、生活は相変わらずセリフ覚えて撮って、合間には小説読んで学校の勉強をして、ダンスや芝居のレッスン行っての繰り返し。はしゃぐには、あまりにも毎週「次の台本」が迫り来ていたという……。
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運命の分岐点は誰もわからない
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